ピョートル・チャイコフスキー 作品評価の変遷

ピョートル・チャイコフスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/11 12:26 UTC 版)

作品評価の変遷

チャイコフスキー初期の作品ピアノ協奏曲第1番は、現在でこそ冒頭の部分などだれでも聞いたことのあるほどよく知られているが、作曲された際にはニコライ・ルビンシテインによって「演奏不可能」とされ、初演さえおぼつかない状態にあった(しかし、のちにルビンシテインはこの曲をレパートリーとするに至った)[28]

ピアノ協奏曲同様、現在では非常に有名なヴァイオリン協奏曲の場合も、名ヴァイオリニストのレオポルト・アウアーに打診するも、「演奏不可能」と初演を拒絶されてしまった。そのためこの曲はアドルフ・ブロツキーのヴァイオリン、ハンス・リヒター指揮によって初演された。しかし聴衆の反応は芳しくなく、評論家のエドゥアルト・ハンスリックからは「悪臭を放つ音楽」と酷評された。しかしこの作品の真価を確信していたブロツキーは各地でヴァイオリン協奏曲を演奏し次第に世評を得るようになったという。その後、アウアーもこの曲を評価し、自身のレパートリーにも取り上げるようになった。

最後の交響曲である交響曲第6番『悲愴』も、初演時の聴衆の反応は好ましいものでなかったとされる。不評の理由は作品の持つ虚無感と不吉な終結によるものと思われる。しかし、世評を気にしがちなチャイコフスキーも『悲愴』だけは初演の不評にもかかわらず「この曲は、私のすべての作品の中で最高の出来栄えだ」と周囲に語るほどの自信作だったようだ。

チャイコフスキーのバレエ作品としてのみならずバレエの演目の代表として知られる『白鳥の湖』も1877年ボリショイ劇場での初演は失敗に終わり、たいへん意気消沈した彼は再演を拒否するほどであった。しかし不評の原因は振り付けや演奏などの悪さによるものであり、死後2年後にマリウス・プティパらが遺稿からこの作品を発掘し、振り付けなどを変えて蘇演した。この公演はたいへんな人気を博し、以降もたくさんの振付師が、独自の作品解釈でこの作品の振り付けと演出に挑戦している。現代では『白鳥の湖』はもっとも有名なバレエの演目のひとつであると同時に、多くの舞踏家振付師の関心をひく作品となっている。

なお数は多くないが、正教会聖歌も作曲している(『聖金口イオアン聖体礼儀』など)。これはロシア正教会の事前の許可を得ずに作曲されたものであったため、一時は教会を巻き込んだ訴訟沙汰にもなった。現在ではロシア正教会・ウクライナ正教会日本正教会などで歌われている。

また、のちのロシアの著名な作曲家による批評であるが、ストラヴィンスキープロコフィエフは作曲家としてのチャイコフスキーを高く評価する一方、ショスタコーヴィチはまったく評価しなかったとの証言がある[29]

なお、宗教およびロシア帝国を否定した旧ソ連時代には、出版や演奏においてチャイコフスキーの宗教的および愛国的な作品のタイトルが改竄されたり(『戴冠式祝典行進曲』→『祝典行進曲』など)、ロシア帝国国歌の引用が削除されたりする(『序曲「1812年」』。グリンカ作曲の歌劇『イワン・スサーニン(皇帝に捧げし命)』の終曲に差換え)などした。これらはソ連崩壊後に原典版に戻された。


注釈

  1. ^ なお正教会埋葬式においては、遺体や遺体の額に巻かれているイコンに接吻する事は一般的な習慣で、特別な事例ではない。
  2. ^ Wikipedia 英語版「チャイコフスキーの死」の項目 では、これほど断定的には述べていない。チャイコフスキーの死にはさまざまな説が唱えられているが、いずれも決定的な証拠はないとしている。

出典

  1. ^ Poznansky, Alexander (March 1992), Tchaikovsky: The Quest for the Inner Man, Schirmer Books, ISBN 0028718852, http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9E0CE7DF153EF936A35752C0A964958260 
  2. ^ Чайковский - Словарь Русских фамилий (ロシア語)
  3. ^ Holden, 4.
  4. ^ Pyotr Tchaikovsky, a Ukrainian by creative spirit”. The Day. 2021年1月18日閲覧。
  5. ^ a b Brown, The Early Years, 19
  6. ^ Poznansky, Eyes, 1; Holden, 5.
  7. ^ a b c 井上(1991)、1104頁
  8. ^ a b c 森田(1982)、1471頁
  9. ^ Holden, 202.
  10. ^ Wiley, Tchaikovsky, 6.
  11. ^ Brown, The Early Years, 27; Holden, 6–8.
  12. ^ Brown, The Early Years, 25–26; Wiley, Tchaikovsky, 7.
  13. ^ Brown, The Early Years, 31; Wiley, Tchaikovsky, 8.
  14. ^ a b ロバート・ジーグラー、スミソニアン協会監修、金澤正剛日本語版監修『世界の音楽大図鑑』、河出書房新社、2014年10月30日、183頁
  15. ^ a b c サハロワ(1991)
  16. ^ Holden, 15; Poznansky, Quest, 11–12.
  17. ^ Holden, 24–25; Warrack, Tchaikovsky, 31.
  18. ^ Poznansky, Eyes, 17.
  19. ^ 黒川祐次 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』中央公論新社〈中公新書; 1655〉、東京、2002年(日本語)、139頁 ISBN 4-121-01655-6
  20. ^ a b c d 井上(1991)、1105頁
  21. ^ ロバート・ジーグラー、スミソニアン協会監修、金澤正剛日本語版監修『世界の音楽大図鑑』、河出書房新社、2014年10月30日、182頁
  22. ^ a b c 森田(1982)、1472頁
  23. ^ 中河原理『名曲鑑賞辞典』東京堂出版、1981年4月25日、110頁。 
  24. ^ 森田(1982)、1473頁
  25. ^ 伊藤(2005)、172頁
  26. ^ 伊藤(2005)、180頁
  27. ^ 伊藤(2005)、179頁
  28. ^ Steinberg, Concerto, 486
  29. ^ ムスティスラフ・ロストロポーヴィチガリーナ・ヴィシネフスカヤ著、クロード・サミュエル編 『ロシア・音楽・自由』 田中淳一訳、みすず書房、1987年、89頁。
  30. ^ Poznansky, Eyes, 216.
  31. ^ バラ関連ポータルサイト「NOIBARA」”. 2020年9月16日閲覧。
  32. ^ (2266) Tchaikovsky = 1937 VM = 1937 VQ = 1943 UH = 1951 AY1 = 1955 QY = 1962 WM2 = 1973 QH = 1974 VK”. MPC. 2021年9月25日閲覧。






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