エラ・アダイェフスカヤとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 作曲家 > ロマン派の作曲家 > エラ・アダイェフスカヤの意味・解説 

エラ・アダイェフスカヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/10 07:55 UTC 版)

エッラ・ゲオルギイェヴナ・
アダイェフスカヤ
基本情報
出生名 Елизавета Шульц
別名 Елла Георгиевна Адаевская
生誕 (1846-02-22) 1846年2月22日
ロシア帝国 サンクトペテルブルク
死没 (1926-07-26) 1926年7月26日(80歳没)
ドイツ国 ボン
学歴 ペテルブルク音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家
担当楽器 ピアノ

   

エッラ・ゲオルギイェヴナ・アダイェフスカヤロシア語: Елла Георгиевна Адаевскаяラテン文字転写:Ella Georgiyevna Adayevskaya、1846年2月22日1926年7月26日)は、ロシア帝国末期のピアニスト作曲家民族音楽学研究家。本名はエリザヴェータ・シュリツ(ロシア語: Елизавета Шульцラテン文字転写:Elizavata Schul'tz)といい、アダイェフスカヤという筆名(ないしは偽名)は、グリンカ歌劇ルスランとリュドミラ》で用いられる2つの太鼓の音(A音とD音)にちなんでいる。

ドイツ語式にエリザベート・フォン・シュルツ=アダイエフスキー(Elisabeth (von) Schultz-Adaïewsky)としても知られており、本人は他にもベルトラミン(Bertramin)という偽名も名乗っていた。

作曲家としては、ピアノ協奏曲や声楽曲、ロシア正教奉神礼聖歌や2つのオペラを手懸けたほか、イタリアの舞踏歌の曲集を編集しており、さらに研究者として、民謡や古代ギリシャの音楽について著作を遺した。

生涯

1846年、ロシア帝国サンクトペテルブルクに生まれた。8歳でアドルフ・フォン・ヘンゼルトに師事してピアノの学習を開始。ニコライ・マルティノフにも師事していた。1862年から1866年までペテルブルク音楽院アントン・ルビンシテインアレクサンダー・ドライショクに師事して学業を続けた。そのほかに、アレクサンドル・ファミンツィンニコライ・ザレンバ、イグナツ・ヴォヤチェクに作曲を師事した。

1870年ごろに帝室礼拝堂のために作曲を始め、その後まもなく2つの歌劇を手懸けた。第1作は、《故郷の娘(Neprigozhaya)》や《ボヤールの娘(Doch' boyarina)》と呼ばれた1幕もので、1873年に初演されている。第2作の《自由の夜明け(Zarya svobodï)》は4幕の野心作で、皇帝アレクサンドル2世に献呈されたが、農民蜂起の場面が描かれているとの理由で検閲に引っ掛かり、上演を拒否された。さらに喜歌劇《 Solomonida Saburova 》を作曲したが、草稿のままで発表しなかった。その後は単身ヨーロッパで演奏旅行に取り掛かり、1882年ヴェネツィアに定住した。

1881年には、四分音を用いたクラリネット・ソナタ《古代ギリシャ風》を作曲する。この作品は、古代ギリシャの音楽やビザンツ典礼、スラヴ民謡についての自身の研究に触発されている。1882年にはイタリアや南チロルで土着の民謡を蒐集し、5/4拍子のワルツの唄などを採譜した[1]

1909年にフランツィスカ・フォン・ローエに招かれてライン地方ノイヴィートに移住し、詩人カルメン・シルヴァを中心とした、自由主義を志向する芸術家のサークルに加わった。アダイェフスカヤの音楽活動は、最終的には民謡研究が中心となり、その分野でかなりの量の出版物を産み出す結果となった。

1926年ボンに客死し、ボン旧霊園に埋葬された。

その他の作品

次のような作品のほかに、ピアノ曲も遺した。

  • カンタータ《樅の木》Yolka, cantata (1870年ごろ)
  • 演奏会用序曲《婚礼の合唱》Svabednï khor, overture (1870年ごろ)

参考文献

  • Brown, Malcolm Hamrick. "Adayevskaya (née Schultz), Ella Georgiyevna." The Norton/Grove Dictionary of Women Composers, Julie Anne Sadie and Rhian Samuel, eds. (New York; London: W. W. Norton & Company, 1995), p. 506.
  • Eaglefield-Hull, A., A Dictionary of Modern Music and Musicians (Dent, London 1924), 6.
  • Hüsken, Renate. Ella Adaïewsky (1846-1926): Pianistin – Komponistin – Musikwissenschaftlerin. Cologne: Dohr, 2005. ISBN 3-936655-18-9.

外部リンク

  1. ^ A. Eaglefield-Hull, A Dictionary of Modern Music and Musicians (Dent, London 1924), 6.

関連項目





固有名詞の分類

ロマン派の作曲家 アレクサンドル・スクリャービン  アンブロワーズ・トマ  エラ・アダイェフスカヤ  ユリウス・フチーク  デイヴィッド・デル・トレディチ
ロシアの作曲家 ウラジーミル・ヴラソフ  アレクサンドル・スクリャービン  エラ・アダイェフスカヤ  ミハイル・イッポリトフ=イワノフ  アレクサンドル・タネーエフ
女性作曲家 マリア・シマノフスカ  メリンダ・ワグナー  エラ・アダイェフスカヤ  マリー・ジャエル  リザ・レーマン
ロシアのクラシック音楽のピアニスト ヤコフ・フリエール  アレクサンドル・スクリャービン  エラ・アダイェフスカヤ  ミッシャ・レヴィツキ  パーヴェル・パプスト
ロシアの正教徒 ピョートル・チャイコフスキー  テオドシウス・ドブジャンスキー  エラ・アダイェフスカヤ  ミハイル・イッポリトフ=イワノフ  パーヴェル・エフドキーモフ
正教会聖歌作曲家 金須嘉之進  ピョートル・チャイコフスキー  エラ・アダイェフスカヤ  ミハイル・イッポリトフ=イワノフ  パーヴェル・チェスノコフ
ドイツの音楽学者 アントン・シンドラー  エラ・アダイェフスカヤ  ヨーゼフ・ルーファー  フーゴー・ライヒテントリット  ワルター・ニーマン

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エラ・アダイェフスカヤ」の関連用語

エラ・アダイェフスカヤのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エラ・アダイェフスカヤのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエラ・アダイェフスカヤ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS