長丁とは? わかりやすく解説

錦町 (仙台市)

(長丁 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 05:02 UTC 版)

錦町(にしきちょう)は、宮城県仙台市青葉区町丁郵便番号は980-0012[2]。人口は3,061人、世帯数は1,795世帯(2022年10月1日現在)[1]。現行行政地名は錦町一丁目・錦町二丁目であり、全域で住居表示を実施している[4]


  1. ^ a b c 町名別年齢(各歳)別住民基本台帳人口”. 仙台市. 2022年11月5日閲覧。
  2. ^ a b 宮城県 仙台市青葉区 錦町の郵便番号”. 日本郵政. 2022年11月5日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 仙台市市民局戸籍住民課: “住居表示実施地区 町名一覧表(区毎・五十音順)”. 仙台市. 2022年11月5日閲覧。
  5. ^ a b 仙台市道青葉1139・同心町通線
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ a b 仙台市道青葉1141号・定禅寺通宮町線
  8. ^ a b 仙台市道青葉1132号・新小路線
  9. ^ 仙台市道青葉1142号・新名掛丁線
  10. ^ その他、長丁の中ほどで直交する光禅寺通を南下して茂市ヶ坂で崖を下るか、長丁東端近くの新名懸丁を南下して掃部丁(かもんちょう)で崖を下るかして元寺小路に出る方法もあった。のちに元寺小路に下りる道は他にもいくつかできた。
  11. ^ a b 定禅寺跡地付近を開削して造られたこの新道の町名は、西側が東三番丁、東側が外記丁となった。
  12. ^ 仙台の城下町では侍町は「丁」(ちょう)、町人町は「町」(まち)と表記・呼称したが、侍町から商店街化した長の錦への町名変更は、同様に侍町から商店街化した東一番一番に町名変更するより先んじたことになる。なお、侍町から商店街・オフィス街化しても「丁」から「町」に町名変更せずにいるのは、名掛丁を初めとして多数ある。特殊例として、国分町は表記に変更は無いが、「こくぶんまち」から「こくぶんちょう」に読みが変化した。
  13. ^ 歴史的町名復活検討委員会報告 資料(仙台市「歴史的町名復活検討委員会」)
  14. ^ 仙台市道青葉739号・北一番丁2号線
  15. ^ 仙台市道青葉1153号・愛宕上杉通1号線
  16. ^ a b 中央(昭45)(仙台市「仙台市の住居表示実施状況」 2.実施地区名一覧《実施年降順》)
  17. ^ 仙台外記丁団地(独立行政法人 都市再生機構)
  18. ^ みやぎ婦人会館


「錦町 (仙台市)」の続きの解説一覧

長丁(旧町名)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 00:45 UTC 版)

錦町 (仙台市)」の記事における「長丁(旧町名)」の解説

藩政期には「長丁」(ながちょう)と呼ばれ西端同心町通、東端東六番丁通とする道路名として用いられた。また、町名としては、東六番丁西側東六番丁並走する新小路あるいは新名懸丁より西側沿道のみで用いられたようである。仙台城下町では、侍町は「丁」(ちょう)、町人町は「町」(まち)と表記・呼称したため、長丁は侍町として武士住んだ参照)。 長丁は仙台上町段丘面にあり、それより一段低い仙台中町段丘面城下町中心地奥州街道筋の国分町南町大町筋とが交差する芭蕉の辻など)が広がっている。両段丘面の間には、南西方向に凸の弧状をした標高差のある段丘崖概ね現在の勾当台地区から宮城野橋X橋付近まで続いており、崖下には東三番丁通と元寺小路が、崖上には寺社地が、寺社地の裏手には外記丁と花京院通が、その弧状地形沿って3つの帯状地帯として連なっていた。長丁から崖下城下町へ行くには、長丁西端直交する同心町通を北上して北一番丁通に出て外記丁や定禅寺などの北側迂回するか、あるいは、同心町通を南下して大仏前(おぼとけまえ)で崖を下り大仏前と東三丁と元寺小路がつくる変則五叉路に出る必要があった。 奥羽越列藩同盟盟主だった仙台藩は、戊辰戦争敗北によって大幅な減封処分を受け(参照1・参照2)、1871年明治4年)の廃藩置県により消滅してしまう。すると勾当台地区では、藩の財政的裏付けなくなった藩校養賢堂仙台県庁(のちに宮城県庁)に転用され(参照)、1873年明治6年)には旧養賢堂敷地内宮城師範学校設置された(その後外記丁との間で数度移転)。また、消滅廃仏毀釈から廃寺となった定禅寺跡地1877年明治10年)に仙台鎮台病院(→仙台衛戍病院仙台陸軍病院改称)になり、1881年明治14年)には旧養賢堂敷地内宮城書籍館1885年明治18年)には勾当台通挟んだ養賢堂敷地内仙台区区役所庁舎(のちの仙台市役所)も設置された。 明治中期になると、旧定禅寺付近段丘崖開削され、崖下定禅寺通東端と崖上の長丁の西端とを結ぶ道路新設された。これで公的施設集積する勾当台地区との連絡良くなった長丁は、かつての侍町から商店街へと変貌した1894年明治27年)に遊廓常盤丁から小田原移転したため、長丁および北一番丁は、勾当台地区遊郭とを結ぶ道ともなった国分町 (仙台市)#歴史参照)。

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