東六番丁とは? わかりやすく解説

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東六番丁

読み方:ヒガシロクバンチョウ(higashirokubanchou)

所在 宮城県仙台市宮城野区

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒983-0853  宮城県仙台市宮城野区東六番丁

東六番丁通り

(東六番丁 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 04:54 UTC 版)

東六番丁通り(ひがしろくばんちょうどおり)は、宮城県仙台市青葉区を南北に走る道路のひとつであり、仙台東照宮門前から南に延びる宮町通りと連続的・直線的に続いている。路線の名称は仙台市の歴史的町名等活用推進事業により制定された。江戸時代の東六番丁は清水小路から宮町まで続く侍と職人の町だったが、明治時代に仙台駅が建設されて通りは分断された[1]。歴史的町名活用事業においては、東六番丁の通りのうち現存する区間の一部、小田原長丁通から花京院通(国道45号)までの区間が東六番丁通りとされている。この区間には仙台市立東六番丁小学校がある。

歴史

仙台開府時には東五番丁までしか街割りはされず、東六番丁辺りは谷地小路と呼ばれていたようである(後世の地図では、東七番丁を元谷地小路と記しているものもある[2])。1627年寛永4年)から始まる城下町の拡張に伴い、東六番丁以降が街割りされ新設された。東六番丁の南端では、同時期に新設された清水小路と変則六叉路の六道の辻において直線的に接続した。仙台藩第二代藩主伊達忠宗1654年承応3年)に仙台東照宮を創建すると、その門前から南に御宮町が新設された。これにより城下町の東部において、仙台東照宮の門前から御宮町、東六番丁、(六道の辻)、清水小路と繋がる直線道路が成立した。

1882年明治15年)に宮城県内初の軌道である木道社が東六番丁13番地に東六番丁停車場を設置し、蒲生と仙台との間で貨物輸送を始めたが、鉄道の開通により廃業した。1887年(明治20年)、現在の東北本線に当たる日本鉄道が仙台を経由して塩竈まで開通した。これにより、仙台駅の南北両側で線路が東六番丁を横断しこれを分断した。仙台駅南側では、軌道敷が清水小路北端を通過する形で建設されたため、清水小路はその北端の手前で北西に道筋を変更して東五番丁と接続され[3]、東六番丁は北目町通丁字路で終わる形になった。また、北目町通の上にはガード(現北目町ガード)が設置された。その後、明治時代後期から大正時代にかけて、仙台駅の拡張や宮城電気鉄道の敷設により、仙台駅東側に残っていた東六番丁は縮小し、残余は孤立した駅裏地区となった[4]

現在の東六番丁通りの南側は花京院通に突き当たって終わる。東北本線の東側では、東北新幹線に沿って通る仙台市道宮城野1306号・花京院通中央一丁目線の一部として東六番丁の道筋が現存している。同市道のうち元寺小路の少し北側から、途中、宮城野橋(X橋)が上空を通過する区間を過ぎて、BiVi仙台駅東口の北までの直線区間が東六番丁にあたる。BiVi仙台駅東口以南は仙台駅構内となっており、東六番丁の道筋は現存しない。かつては通り沿いの町名も東六番丁であったが、住居表示施行によって住所が東六番丁である地区は狭められた。現在はBiVi仙台駅東口の北方の一部でのみ用いられ、西端を仙台市道宮城野1306号・花京院通中央一丁目線、北端を仙台市道宮城野1896号・鉄砲町榴ケ岡(その3)線、南端を東口パーキング(仙台トンネルに移転前の仙石線旧仙台駅)に囲まれたブロックの一部にあたる。現在、歴史的町名活用事業での東六番丁通り沿いに東六番丁という住所はない。

脚注

  1. ^ 道路の通称として活用する歴史的町名の由来(《東六番丁》通り)(仙台市)2023年11月25日閲覧。
  2. ^ 有限会社イーピー 風の時編集部「仙台地図さんぽ」に収録された1912年大正元年)発行の地図による
  3. ^ 戦後の戦災復興事業において、仙台上町段丘面にある上杉山通と、段丘崖下の仙台中町段丘面にある日吉丁以南が接続された(新設された段丘崖部分の道は現在、銀杏坂と通称されている)。これにより、上杉山通・錦町・(銀杏坂)・日吉丁・東五番丁・(六道の辻)・清水小路と、錦町および六道の辻で屈曲して繋がる南北大通(現在の愛宕上杉通)が造られた。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 『角川日本地名大辞典4 宮城県』 角川書店、1979年、445頁。

外部リンク


東六番丁(道路)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 05:15 UTC 版)

東六番丁通り」の記事における「東六番丁(道路)」の解説

仙台城下町開府時には東五番丁までしか街割りはされず、東六番丁辺り谷地小路呼ばれていたようである(後世地図では、東七番丁を元谷地小路記しているものもある)。 1627年寛永4年)から始まる城下町拡張に伴い、東六番丁以降が街割りれ新設された。東六番丁の南端では、同時期に新設され清水小路変則六叉路の六道の辻において直線的に接続した仙台藩第二藩主伊達忠宗1654年承応3年)に仙台東照宮創建すると、その門前から南に御宮町(上御宮町・下御宮町とに分かれる。現宮町通)が新設された。これにより東六番丁は、城下町東部において、仙台東照宮門前から御宮町・東六番丁・(六道の辻)・清水小路と繋がる南北直線道路一部構成することになった。なお、御宮町南端は東六番丁の北端直線的に接続し小田原長丁通(清水沼に繋がる)が東行き分岐する丁字路北緯38度16分8.9秒 東経140度531.4秒 / 北緯38.269139度 東経140.883722度 / 38.269139; 140.883722)を形成することになったが、そのすぐ南側には長丁定禅寺通へと繋がる)が西行き分岐する丁字路造られた。仙台城下町で「○○通」は「○○通じる道」という意味であったため、小田原長丁通が長丁通じる道と認識されていたと見なせ、ここが2つ丁字路連続というより変則四叉路認識されていたと考えられる1882年明治15年2月25日県内初の軌道である宮城木道木道社)が東六番丁13番地に東六番丁停車場設置し蒲生仙台との間で貨物輸送始めた江戸時代には、塩竈湊から御舟入堀(貞山運河)を経て七北田川河口蒲生集荷された貨物が、七北田川と舟曳堀を小舟遡上して苦竹陸揚げされ原町集荷される水運物流ルートがあったが、宮城木道がその強力な競争相手となった(以下のように日本鉄道塩竈仙台間に開業したことで廃止に至る)。 1887年明治20年12月15日仙台区(現仙台市)には日本鉄道(現JR東北本線)が開通するが、仙台駅およびその前後軌道敷が東六番丁の西側沿って設置されたため東六番丁は道として残った。ただし、花京院通現国45号)と元寺小路との間で軌道敷と東六番丁が交差するため、ここに跨線橋設置された。他方六道の辻では、軌道敷清水小路北端通過する形で建設されたため、清水小路はその北端の手前で北西道筋変更して東五番丁接続され、東六番丁は北目町通丁字路で終わる形になったまた、北目町通の上にはガード(現北目町ガード)が設置された。 1925年大正14年)には宮城電気鉄道(後の仙石線)が開業したが、地下駅として設置された同鉄道仙台駅に至るトンネル入り口は、同駅東側の東六番丁付近に設置された。1952年昭和27年)にはこの地下駅廃止され、代わって仙石線用の地上ホームが東六番丁付近に完成したいずれか時期に東六番丁の南半分仙台駅プラットホーム軌道敷拡張で、同駅の構内組み込まれ消滅時期不明)し、仙台駅北側跨線橋廃止された(時期不明)。 現在、元跨線橋の西詰には花京院マンション建ち東北本線などの軌道敷西側で東六番丁は盲端で終わっている。同軌道敷東側では、東北新幹線沿って通る仙台市宮城野1306号・花京院通中央一丁目線の一部として道筋現存しており、同市道のうち元寺小路の少し北側から、途中宮城野橋X橋)が上空通過する区間過ぎてBiVi仙台駅東口の北までの直線区間が東六番丁にあたる。BiVi仙台駅東口以南仙台駅構内となっており、道筋現存しない。

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