宝塚少女歌劇団と10代での結婚
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1903年(明治36年)7月25日、宮城県仙台市東六番丁(現在の同県同市宮城野区東六番丁)に生まれる。父は漢学者の澤幸次郎である。出生名については、『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』では「澤 靜子」とされ、死去時には本名は「澤 志づ子」である旨の報道がなされている。 父の実家のある千葉県千葉市で育ち、旧制・千葉市立蘇我小学校(現在の千葉市立蘇我小学校)を卒業後に、1916年(大正5年)4月に東京へ転居して旧制・東京家政女学校(現在の豊島岡女子学園高等学校)に進学する。1919年(大正8年)5月に同校を中途退学して、同年1月に設立された寶塚音樂歌劇學校(現・宝塚音楽学校)に入学する。宝塚歌劇団9期生。同期生に桂よし子、門田芦子、巽寿美子、奈良美也子らがいる。芸名は小倉百人一首の第27番:中納言兼輔の「甕原 わきて流るる 泉川 何時見きとてか 戀しかるらむ (みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ)」から泉 蘭子と命名した。1920年(大正9年)3月に宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の第25回公演『毒の花園』で初舞台を踏み、娘役として活躍する。1921年(大正10年)7月の夏季公演第一部では『ネヴヰーライフ』に平和の女神役で主演したが、同年に作曲家の松本四良との恋愛が問題になって宝塚少女歌劇団を退団した。退団後に満18歳で松本と結婚している。
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