木道社
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木道社(もくどうしゃ)は、1882年(明治15年)から1888年(明治21年)まで営業した、宮城県仙台区東六番丁(現・JR仙台駅東口)と同県宮城郡蒲生村(現・仙台港の南側)とを結んだ軌道、および、その事業者。「宮城木道社」「宮城木道」とも呼ばれる。開業当初の約9ヶ月間は人車軌道として、その後は馬車軌道として営業した[1]。その名の通り、軌条は鉄板をかぶせた木製だった。
注釈
- ^ 明治5年15歳のときに父とともに渡米し、そのままボストンで過ごし明治9年にマサチューセッツ工科大学で採鉱学を学ぶ。明治11年に帰国して、一時高島炭鉱に就職する。明治18年には鉄道局に入り官吏の道に進む。三上一夫・舟澤茂樹『由利公正のすべて』新人物往来社、2001年、44頁
- ^ 『由利公正伝』によると仙台の寺木定芳は三岡が論じていた木道の話を聞いて仙台に木道を敷設しようと松平正直に内願し、会社設立の援助を由利に相談した。由利は小野善右衛門にその話をしたところ小野組と関係の深い仙台の商人古川良助の協力を得て、三岡を発起人として木道敷設を出願したという。
- ^ 「2月19日由利公正始め社員数名と県官数名が馬車に乗り込み仙台から蒲生まで1時間かけて試運転し25日に開道式を行った」「宮城県の木道工事」明治15年2月27日付東京日日新聞『新聞集成明治編年史5』38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『仙台市史 資料編5』には開業時期についての史料がないため、なぜ馬車運行が延期されたかは不明。同書「木道線路為換(かわせ)道敷設願」75 - 76頁にも「明治15年12月中開業御許可相成..」とあり3月開業についてふれていない。
出典
- ^ a b c d 『仙台市史 通史編6 近代1』 77頁
- ^ 「木道敷設の願」『仙台市史 資料編5』62-66頁
- ^ 明治14年12月14日付郵便報知新聞「原敬の馬車木道架設に関する所見」『仙台市史 資料編5』74頁
- ^ 「木道社の御難」明治15年4月12日付仙台絵入『新聞集成明治編年史5』62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『宮城県史 5』678頁
- ^ 「開業御届」『宮城県公文書館企画展図録集1』4頁
- ^ 「西村土木課長へ御回答」『仙台市史 資料編5』79頁
- ^ 「仙台木道社解散」明治21年3月24日付朝野新聞『新聞集成明治編年史7』41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
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