豊川稲荷大阪別院とは? わかりやすく解説

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豊川稲荷大阪別院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/22 09:22 UTC 版)

豊川稲荷大阪別院
山門
所在地 大阪市天王寺区堂ケ芝1-5-19
位置 北緯34度39分34.4秒 東経135度31分37.2秒 / 北緯34.659556度 東経135.527000度 / 34.659556; 135.527000
山号 豊川山
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観音
創建年 明治31年(1898年
開山 嘉硯黙童
正式名 豊川山 観音寺
文化財 堂ヶ芝廃寺
法人番号 8120005000769
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豊川稲荷大阪別院(とよかわいなりおおさかべついん)は、大阪府大阪市天王寺区にある曹洞宗の寺院である。正式な寺号は観音寺

豊川稲荷 妙厳寺愛知県豊川市)の別院である。

沿革

明治31年1898年)、付近の地主であった萩田利平が、この地を発展させようと、豊川稲荷から吒枳尼天勧請し、稲荷堂を建立したのを始まりとする。

その後、明治38年(1905年)頃に、妙厳寺では末寺の観音寺を当地に移転し、妙厳寺住職の嘉硯黙童を開山として、正式な寺院として大阪別院を発足したといわれる[1]。2代目住職までは、妙厳寺から派遣された院代がその職務に当たっていた。

商売繁盛の神として、商業都市大阪の個人商店主から多くの信仰を集めているが、代替わりにより、その様相にも変化が見られるという。

勤行次第

豊川稲荷は信者のための「勤行次第」(お経本)を発行していないが、大阪別院では、明治41年(1908年)に勤行次第が一千部ほど施本された。内容は、妙厳寺を創建した東海義易が定めた吒枳尼天への勤行作法を、在家用に改めたものとなっている(下記リンク先参照)。

境内

本殿
2階建てになっており、1階は本尊の十一面観音を祀る本堂で、2階が吒枳尼天を祀る稲荷本殿となっている。2階本殿へは外部階段を上り直接行くことができる(下記リンク先参照)。
奥の院
本殿の横にある奥の院には、平八郎稲荷が祀られる。平八郎は東海義易に仕えた狐で、吒枳尼天の食事の世話をする稲荷という[2]
堂ヶ芝廃寺
古代の瓦片が多数出土し、飛鳥時代の寺院跡と推定されている。渡来人の百済王氏の氏寺の百済寺ではないかと比定されている。

交通手段

脚注

  1. ^ 栖川隆道 「禅宗寺院と稲荷信仰」 『稲荷信仰の研究』所載 山陽新聞社、1985年。
  2. ^ 豊川本院では、特に平八狐を拝むための場所は設けられていない。

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