西部劇の変貌
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西部劇が描く人物像は基本的に主人公は白人で、強く正しくて『勧善懲悪』をストーリーの骨子とし、そこへ応援に来たりする(陸軍の)騎兵隊は「善役」であり、それに刃向う先住民インディアンを「悪役」としたものが多い。そして劇中で描かれた白人とインディアンとの戦いには史実も多いが、戦いの原因(土地の領有権)に触れたものはほとんどなかった。 しかし、やがて史実とは違う(白人に都合のいい)内容に対する反発や反省が西部劇を衰退させる強い動因となった。戦後、多様化する価値観や倫理観の変化に勧善懲悪のドラマがついていけなくなったのである。 1940年代の半ば頃から、フロンティア精神を肯定してそこに主人公(ヒーロー)がいて無法者や先住民を倒す「西部劇」という一つの図式が崩れ始めた。1950年のデルマー・デイヴィス監督『折れた矢』は先住民は他者で白人コミュニティを脅かす存在という図式ではなく、先住民の側から描き、戦いを好むのではなく平和を求める彼らの姿を描いた。それは、当時黒人の地位向上を目指す公民権運動が次第に激しくなる時代に入り、人権意識が高まる中でインディアンや黒人の描き方が批判されるようになって、単なる勧善懲悪では有り得ない現実を浮かび上がらせ、それまでの西部劇が捨象してきた問題に対して向き合わざるを得なくなったことであった。 そしてもう一つの図式である勧善懲悪で、開拓者精神を肯定する強いヒーローがいて悪を倒すそれまでの図式も崩れていった。自分の名誉のためだけにインディアンを見下し、結果自身の連隊を壊滅させてしまう騎兵隊の中佐(『アパッチ砦』のヘンリー・フォンダ)、町の誰からも助けてもらえない保安官(『真昼の決闘』のゲイリー・クーパー)、復讐に執念を燃やす男(『捜索者』のジョン・ウェイン)、農園を取り戻すだけのために賞金稼ぎとなり人を殺す農園主(『裸の拍車』のジェームズ・ステュアート)が主人公の西部劇が40年代から50年代にかけ多数製作されて、それまでの映画にあった悪に立ち向かうヒーロー像がもはや存在せず、何が正しくて何が悪いか、明らかにしないままにただ主人公の人間らしさが主になって、そこではもはやヒーローが描きにくくなったのである。 この時期になると、善悪の区別が曖昧で複雑な作品が多くなった。痛快で豪快なアクション、ヒーローと悪役との対決、派手なガンさばきを見せたりして見せ場はあっても全体としての雰囲気は重く暗いものになった。ラオール・ウォルシュ監督の『死の谷』「追跡」、アンソニー・マン監督の『裸の拍車』、キング・ヴィダー監督の「白昼の決闘」、ヘンリー・キング監督の「拳銃王」「無頼の群」、ジョン・スタージェス監督の「六番目の男」、ジョージ・シャーマン監督の「生まれながらの無宿者」、デルマー・デイヴィス監督の『縛り首の木』、ニコラス・レイ監督の『大砂塵』、エドワード・ドミトリク監督の『ワーロック』、そしてフレッド・ジンネマン監督の『真昼の決闘』などの主人公は誰からも信用されない、心にトラウマがあったり、死にたいと願ったり、孤立無援の戦いに追い込まれたりしている。それは第二次大戦が終わって未曽有の戦争を体験したアメリカ社会が、それまであった「強く正しいヒーローが大活躍する単純明快な西部劇が作りにくくなったことを示している」と川本三郎は述べている。 そしてそれはまた、この当時ハリウッドを襲った「赤狩り」という暗い空気の中で、アンソニー・マンやフレッド・ジンネマンが描いた世界が西部劇の変貌をもたらしたとも言われている。 これが1960年代に入ると、公民権運動が高まると同時に西部劇の衰退を招くこととなった。1960年にジョン・F・ケネディが大統領に就任し人種差別の撤廃に強い姿勢で臨み、これに伴い従来の製作コードが通用しなくなり製作本数も激減した。そしてイタリアなどでいわゆるマカロニ・ウェスタンと呼ばれる多くの西部劇が作られ始めると、サム・ペキンパー監督『ワイルドバンチ』のようにマカロニウエスタンに逆に影響を受けた作品も数多く生まれた。 こうした状況から西部劇はそれまでの単純な善悪二元論では立ち行かなくなり、1950年代初頭には年間100本ほどの製作本数が、四半世紀後の1970年代後半にはわずか1ケタの製作本数に激減していく。 やがてニューシネマの台頭でジョージ・ロイ・ヒル監督ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の『明日に向って撃て!』のような秀作も生まれ、またアーサー・ペン監督『小さな巨人』とラルフ・ネルソン監督『ソルジャー・ブルー』が1970年に公開され、『ソルジャー・ブルー』は1864年のサンドクリークの虐殺を基に、被害者である先住民の立場に立って虐殺事件を描き、当時話題になった作品である。 60年代から70年代になるとマカロニ・ウエスタンの影響を受けながらも、バート・ケネディ監督の「続・荒野の七人」「夕陽に立つ保安官」、リチャード・ブルックス監督の「プロフェッショナル」「弾丸を噛め」、ドン・シーゲル監督でクリント・イーストウッド主演の「真昼の死闘」とジョン・ウェイン主演の『ラスト・シューティスト』、ラルフ・ネルソン監督の「砦の29人」、マーク・ライデル監督でジョン・ウェイン主演の「11人のカウボーイ」、ロバート・シオドマク監督の「カスター将軍」、マイケル・ウイナー監督でバート・ランカスター主演の「追跡者」、サム・ペキンパー監督でチャールトン・ヘストンとジェームズ・コバーン主演「ダンディー少佐」、ウィリアム・ホールデンとロバート・ライアン主演「ワイルド・バンチ」、アンドリュー・V・マクラグレン監督でチャールトン・ヘストン主演の『大いなる決闘』、ベテランのハワード・ホークス監督の『エル・ドラド』『リオ・ロボ』、ジョン・スタージェス監督でワイアット・アープの決闘後を描いたジェームズ・ガーナー主演の「墓石と決闘」、ヘンリー・ハサウェイ監督でスティーブ・マックイーン主演「ネバダ・スミス」とジョン・ウェイン主演の『エルダー兄弟』そして『勇気ある追跡』などの西部劇が製作された。 1970年代以後になると、クリント・イーストウッド主演・監督の『荒野のストレンジャー』(1973年)・『アウトロー』(1976年)・『ペイルライダー』(1985年)・『許されざる者』(1992年)、ローレンス・カスダン監督の『シルバラード』(1985年)、ケビン・コスナー主演の『ワイアット・アープ』(1994年)、ケビン・コスナー主演・監督の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)・『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(2003年)などの秀作が生まれている。しかしかつて活劇映画として人気のあった頃の西部劇の魅力はすでに失われている。 現在において西部劇は製作されているが数少なく、過去の作品と肩を並べるような傑作を世に送り出していない。物語りとしての図式が出来ず、西部劇としてのジャンルが確立されていないからである。その一方で、時代考証や衣装設定、ガン・アクションは過去の作品とは比較できないほどの正確さで表現されており、『トゥームストーン』のような娯楽性に富んだアクション映画も作られている。
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