西部共同火力発電の設立とは? わかりやすく解説

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西部共同火力発電の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 08:25 UTC 版)

戸畑発電所」の記事における「西部共同火力発電の設立」の解説

戦前期北九州地域における電気事業者九州電気軌道現・西日本鉄道)と九州水力電気の2社であった先発企業九州電気軌道1911年明治44年)に大門発電所建設した際に電源周波数50ヘルツ設定し後発九州水力電気もこれにならったため、北九州では長く50ヘルツ給電が行われた。また1930年代に入ると九州電気軌道九州水力電気傘下入り前者火力発電後者水力発電併用した水火併用」の供給体制実現していた。 北九州地域電力需要は、1932年昭和7年)末ごろより景気回復伴って増加し将来的発電力を上回る情勢となった。このことから九州水力電気九州電気軌道両社種々検討し発電力不足が最も懸念される九州水力電気の手小倉市内の埋立地火力発電所新設する計画をまとめ、1935年昭和10年1月発電所設置の許可逓信大臣あてに申請した。しかし当時逓信省発送電の統制政策打ち出しており、需給面・経済面から非合理的であるとして電気事業者単独での個別火力発電所新設許可していなかった。統制策を唱える逓信省勧告従い電力会社連合にこの地域最大需要家ある日製鐵八幡製鉄所経営)を加えて共同火力発電所建設することとなり、1936年昭和11年)、その経営主体である「西部共同火力発電株式会社」の設立決定した西部共同火力発電設立参加した電気事業者は、九州水力電気とその傘下九州電気軌道九州送電西九州60ヘルツ圏における共同火力会社として先に設立されていた九州共同火力発電九州水力電気九州送電九州電力熊本電気三井鉱山出資)の4社で、日本製鐵加えた5社の均等出資新会社立ち上げることとなった1936年5月6日付で逓信省より電気事業経営許可取得したのを受けて5月18日創立総会開催され西部共同火力発電発足する至った資本金1500万円で、代表取締役社長九州水力電気木村平右衛門、同常務に元逓信省郵務局長久埜茂就任本社九州ではなく東京市麹町区現・東京都千代田区)に置かれた。

※この「西部共同火力発電の設立」の解説は、「戸畑発電所」の解説の一部です。
「西部共同火力発電の設立」を含む「戸畑発電所」の記事については、「戸畑発電所」の概要を参照ください。

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