西部共同火力発電の設立
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「戸畑発電所」の記事における「西部共同火力発電の設立」の解説
戦前期の北九州地域における電気事業者は九州電気軌道(現・西日本鉄道)と九州水力電気の2社であった。先発企業の九州電気軌道が1911年(明治44年)に大門発電所を建設した際に電源周波数を50ヘルツに設定し、後発の九州水力電気もこれにならったため、北九州では長く50ヘルツ給電が行われた。また1930年代に入ると九州電気軌道が九州水力電気の傘下に入り、前者の火力発電、後者の水力発電を併用した「水火併用」の供給体制が実現していた。 北九州地域の電力需要は、1932年(昭和7年)末ごろより景気回復に伴って増加し、将来的に発電力を上回る情勢となった。このことから九州水力電気・九州電気軌道の両社は種々検討し、発電力不足が最も懸念される九州水力電気の手で小倉市内の埋立地に火力発電所を新設する計画をまとめ、1935年(昭和10年)1月に発電所設置の許可を逓信大臣あてに申請した。しかし当時の逓信省は発送電の統制政策を打ち出しており、需給面・経済面から非合理的であるとして電気事業者単独での個別の火力発電所新設を許可していなかった。統制策を唱える逓信省の勧告に従い、電力会社の連合にこの地域最大の需要家である日本製鐵(八幡製鉄所を経営)を加えて共同火力発電所を建設することとなり、1936年(昭和11年)、その経営主体である「西部共同火力発電株式会社」の設立が決定した。 西部共同火力発電設立に参加した電気事業者は、九州水力電気とその傘下の九州電気軌道・九州送電、西九州の60ヘルツ圏における共同火力会社として先に設立されていた九州共同火力発電(九州水力電気・九州送電・九州電力・熊本電気・三井鉱山が出資)の4社で、日本製鐵を加えた5社の均等出資で新会社を立ち上げることとなった。1936年5月6日付で逓信省より電気事業経営の許可を取得したのを受けて5月18日に創立総会が開催され、西部共同火力発電は発足するに至った。資本金は1500万円で、代表取締役社長に九州水力電気の木村平右衛門、同常務に元逓信省郵務局長の久埜茂が就任。本社は九州ではなく東京市麹町区(現・東京都千代田区)に置かれた。
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