著名な辻堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 03:27 UTC 版)
福山市春日町の浦上八幡神社の境内には、旧道沿いから移転され参拝客の休憩所として使用される辻堂がある。トタン葺き屋根に変更されており、傍には「浦上八幡神社御旅所の碑」が建てられている。元々は浦上団地の入口のため池東側にあったとされる。薬師如来と思われる木製の仏像が祭られているが朽ち果てている。 国道182号線沿いの油木交番近くの旧道沿い、愛宕神社傍にある辻堂は、平安時代の終盤に西行が備後路から備中路への旅の途中に立ち寄り、「手にむすぶ 岩間の清水 底澄みて行きかふ人の かげも涼しき」という歌を残したと言い伝えられ、後に「歌の御堂」と呼ばれるようになった。建築当時の茅葺屋根に柳の柱という姿を現代に伝え、油木八景の1つに選ばれる。油木町指定文化財に指定されている。 福山市神辺町西中条の箱田川土手にある辻堂は軒高の構造で知られる。祭壇は設けられておらず、4本柱のみとなっている。傍らには地蔵が祭られる。田植えの時期は、周辺の田園の稲の緑が萌え、秋には黄金色の稲穂をバックした美しい風景が楽しめる。西中条には数多くの辻堂が残るが、その中でも「絵になる辻堂」として抜きんでているが、由来などについては詳しい事は分かっていない。 福山市神辺町湯野には「赤堂」と呼ばれる辻堂がある。文字通り柱や梁などの木質部分は[赤いベンガラが塗られている。古代山陽道に該当する地区にあり、板張りの床には舟型光背の石地蔵1体が直置きで祭られている。4本の柱は内反し、四隅には組物が施されている。屋根は大屋根で辻堂としては豪華すぎる構造とされる。 福山市内から県道72号線を南下、熊野町下山田バス停を過ぎて右手に広がる田園地帯の中に印象的な辻堂があり、地元では「十二神堂」と呼ばれている。1993年(平成5年)に改築され、柱はコンクリート製で裾が広がりの形状になっている。床は無い。12神とは薬師如来の守護する十二神将のことで、1984年(昭和59年)の調査では須屋に2体の甲冑をまとった木像があり、十二神将のいずれかだと推測されている。この木像は万病にご利益があるとされ、病人が供え物や花を持ち込み、全快を祈願する風習があった。 福山市熊野町中山田には、「六本堂」という柱6本構造の比較的大きな辻堂がある。1871年(明治4年)と1886年(明治19年)に焼失し、その後は赤坂遊園に移築されていた(当時は草葺屋根)。1971年(昭和46年)12月に現在の銅板葺き屋根の建物が再建された。「六本堂」は水野藩主が領内の巡視する際の休憩場所として建てられ、常国寺所有の森林木材が使用された。「殿様のお休み場」とも呼ばれた。すぐ横に荒神社があり、「六本堂」で藩主が休憩している間は、お付の者は荒神社で待機したとされる。2017年(平成29年)現在の建物は1971年(昭和46年)の再建。 福山市の松永町と沼隈町を結ぶ県道47号線にある藤江町の八反坂は難所として知られ、明治時代に花崗岩の腰掛石を置き憩堂を立てられた。この憩堂は水野藩の通達で建てられたものではないが、周辺住民が峠を通る通行人の茶接待の場として使用された。茶接待は八反地区住民の輪番で昭和30年代(1955年-1964年)まで続けられた。2017年(平成29年)現在の建物は、6本柱の近代的な宝形屋根でありバス停として使用される。この茶接待の憩堂は松永の大富豪の山路機谷が私費を投じて1828年(文政11年)から付近の鞆坂峠に次々と整備されたものの一環であるとされる。 福山市駅家町今岡の宜山小学校(むべやま)横には2つ並んで辻堂が建てられている。このように駅家町には2つ並んで辻堂が存在することが多いとされる。 福山市東手城町の手城大橋西交差点を左折した場所にある宝形造の辻堂では、毎年「お地蔵様」と呼ばれる地区の子供たちにお菓子などを配る催しが開催されている。この辻堂の周辺は旧街道沿いで「堂の脇」と呼ばれている。かつてはこの辻堂を中心に集落が形成されていたという。 福山市沼隈町山南川に沿った旧道近くには「上林の堂」と呼ばれる辻堂がある。茅葺銅板覆いの寄棟屋根が特徴的で、昭和初期に葺き替えがされた。記録によると、1889年(明治22年)再建、1983年(昭和58年)屋根葺替、1992年(平成4年)再建であるが、1983年(昭和58年)の屋根葺替は材料となる葦の調達はもちろんのこと、職人の高齢化、作業に使用する道具の入手など、多くの困難があったとされる。1992年(平成4年)の再建時に劣化した葦葺屋根が銅葺で覆われ、コンクリート床だったものが板張りに戻された。 福山市加茂町粟根には井伏鱒二の生家があり、そこから少し下った場所に地蔵を祭った辻堂がある。井伏鱒二は幼少時この辻堂に親しんでいたようで、のちに「お地蔵さま」という作品を残している。2017年(平成29年)現在の建物は2010年(平成22年)に改築されたもので、10本柱の地蔵堂になっているが、「弘法大師供養」の棟札も掲げてあり、大師堂としても信仰されている。周辺は加茂谷と呼ばれ、旧街道沿いには金毘羅宮を祭った石造りの常夜灯が数多く残されている。 庄原市総領には柱が1本しかない「一本堂」と呼ばれる辻堂がある。 尾道市御調町管には、非常に太い柱を使用した辻堂がある。「横峰地蔵堂」と呼ばれ、1体の地蔵が祭られる。1844年(天保15年)屋根改築とあり、郷土史の御調の辻堂の挿絵にも採用されている。
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