能勢電転出から廃車まで
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「阪急40形電車」の記事における「能勢電転出から廃車まで」の解説
本形式は戦災を受けることはなく、戦前・戦中同様41・43・45の3両が能勢電気軌道に貸し出され、同社オリジナルの31形とともに主力車両として運用され、無蓋電動貨車まで動員して乗客輸送に当たるほどの慢性的な車両不足状態を乗り切ったほか、40が予備車として池田車庫の片隅で留置されていた。 1948年6月23日に現在の光風台駅付近で103号電動貨車が31形に追突、ブレーキが破損した103が暴走して笹部駅東方で43と正面衝突し、43が大破して車籍上休車となったため(車体はこの際に解体されている)、40が代わりに貸し出されて40形は全車能勢電気軌道常駐となった。乗務員からは、力があってなおかつ速度も速く運転しやすい40形は好評だったという話が残っている。 戦後の混乱期も収束して復興へと向かうようになると、能勢電気軌道においても車両の近代化を進めることとなった。その第1陣として1953年8月に元阪急37形を購入した70形の鋼体化改造を実施、1954年までに全車が50形に改造された。引き続いて40と41の電装機器を流用して鋼体化改造を行う計画が立てられ、阪急ではこの2両を1954年9月22日付で能勢電気軌道に譲渡して機器を提供し、これを用いて50形と同形の車体を持つ60形が製造された。一方、車籍上休車が続いていた43を、鋼体化改造で不要になった41の車体と事故後に車体が解体された後残った(初代)43の台車、阪急内で休車となっていた電動貨車206の電装機器を組み合わせて復活させることになり(実質2代目という事になる)、結果的に43・45の2両が引き続き貸し出されることになった。ただし、43の制御器は206のGE-K9Cを搭載している。 その後も阪急借入車であったことから、阪急の社章を取り付けて能勢電籍の31・37・50・60の各形式とともに能勢電内を走っていた本形式であるが、乗客が増加してゆくのに伴い、50形や60形と比べて収容力が小さいことから、1957年に旧新京阪P-4・P-5を購入した10形が就役すると、廃車となった37形の後を追って次第に予備車扱いとなって使用される機会が減り、1961年以降は10形の増備車として新たにP-4・P-5を借り入れた20形の就役によって完全に予備車となった。同年秋に50形が搭載するGE-203Pモーターが故障したことから、本形式の電装機器・台車と交換することとなり、1961年10月に45が、1962年2月に43が運用離脱して機器の換装が行われた。その後は営業運転に復帰することなく同年9月29日付で阪急に返却され、同日廃車となった。 廃車後、12月10日に43・45とも池田駅前駅からトレーラーで搬出されて43は池田車庫、45は西宮車庫・工場の倉庫代用として使用されていたが、のち解体されている。
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能勢電転出から廃車まで
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「阪急610系電車」の記事における「能勢電転出から廃車まで」の解説
600形全廃後の1975年ごろから、5100系や6000系の増備に伴い、920系や800系などの大型旧型車が今津線や伊丹線などへ転出を開始した。そのため、小型車で収容能力の劣る本形式は休車になる車両が発生し始め、伊丹線運用を最後に、1977年11月で阪急線内の運用を終了した。 そのころ、能勢電気軌道では、先に阪急から転入した320・380・500の各形式で1975年から5両編成による運行を開始していた。さらに、1978年の日生線開業後の乗客増に対応するため、まだ車齢が若く、一部の改造のみで入線可能な本形式の導入を検討し、能勢電軌側の施設改造工事が一段落した1977年から同社への譲渡が開始され、同年4月に4両編成×3本が入線したのを皮切りに、 1982年までに4両編成×8本の32両が入線した。 610系編成表 (1982.4) ← 妙見口・日生中央 川西能勢口 → 入線年月610(Mc) 630(M) 630(M) 660(Tc) 617 611 635 660 1977.4 619 622 634 667 1977.4 620 618 632 668 1977.4 621 613 633 671 1977.7 610 630 631 661 1979.3 615 614 639 665 1980.8 616 636 637 666 1980.9 612 640 638 662 1982.4 譲渡の際には、能勢電鉄線内には勾配区間が多く存在することから、昇圧時に付随車化されていた636 - 639の4両を600形が使用していた電気機器を使用して電動車に復帰させ、制御車の664も電装されて640に改番、中間に組み込まれた610形については番号はそのままで運転台機器が撤去されて中間電動車化された。編成については右表のとおり。 この時点では阪急側に669・670・672の3両が残っていたが、この3両も1983年4月に譲渡され、最終的には1977年8月に廃車解体された663号車を除く35両が譲渡された。この3両は能勢電鉄で初の付随車として譲渡され、新形式の650形650 - 652に改番されたうえ、一部の編成に組み込まれて5両編成運用に充当された。このうち、652 (旧672) についてはブリル27MCB2台車を663のH-5-イ台車に換装されている。また、1982年にはATS取付工事が実施され、能勢電鉄転入時に撤去されたATSを再度装備するようになった。 610系編成表 (1987.2) ← 妙見口・日生中央 川西能勢口 → 610(Mc) 650(T) 630(M) 630(M) 660(Tc) 610 650 630 631 661 617 651 611 635 660 620 652 618 632 668 612 653 640 638 662 615 654 614 639 665 616 655 636 637 666 619 656 622 634 667 1983年以降に入線した、1500系6編成と1000系第1編成が増備された直後の1987年2月に、大型車4両編成と輸送力を揃えるため、621-613-633-671の4両が電装解除・付随車化のうえ653 - 656に改番され、他の4両編成に挿入して全編成が5両編成化された。編成については右表のとおり。 非冷房車の610系は、5両編成に増強されることで輸送力こそ大型車と大差はなくなった。しかし、能勢電鉄初の冷房車である1500系の増備が進むにつれて、廃車が進んだ320・500形に代わってラッシュ時中心の運用に移行してゆき、1988年の1000系第2編成就役後は、昼間時の運用は大型車でまかなえることから、本線ではほぼラッシュ時のみの運用となった。さらに1700系の登場により1990年から廃車が開始され、最後まで残った610-650-630-631-661の5両編成で1992年4月19日にさよなら運転を実施、同編成が5月18日付で廃車されたことで、本形式は宝塚線と神戸線の支線区に続く三度目の車両大型化への中継ぎ役を果たして全車姿を消した。 本形式の全廃に伴って、能勢電鉄の車両大型化及び100%冷房化が達成された。
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