能勢電時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:59 UTC 版)
能勢電気軌道では沿線の宅地開発が急速に進み、輸送力増強のため15m級車体の320形・500形の導入を検討することとなったが、急曲線が導入の障害となっていた。1964年7月に阪急より320形330・331の2両を借り入れて試験走行し、15m車の走行に支障になる箇所の洗い出しと最小限の改良工事が行われた。 施設改良後の1966年に2両編成で能勢電での本格的な運行を開始し、能勢電の旧型木造車は全廃となった。1968年4月からは、遅れて入線した500形との3連も組み、後には本形式だけでも3連を組んだ。1973年3月、能勢電に正式に譲渡された。 1975年には本形式単独で4両編成固定(合計3本)で使用される様になり、この時点で先頭車として使用されていた320・323・324・327・328・331に列車無線装置が設置され、さらに4両編成のうち2本に組み込まれていた車両1977年に320・322・324・326のパンタグラフを撤去した。 1979年から1980年にかけて車体更新され、同時に380・500形とともに5両編成化が実施された。列車無線装置が未設置の321・322・325・326・329・330の6両は運転台を撤去して中間車化、324と327は片運転台化され、322にはパンタグラフが再設置されている。車内は客用扉の交換や車内灯の蛍光灯と袖仕切のパイプ化が行われた他、蛍光灯の取り付け等に伴い電動発電機の設置が行われ、屋根回りもベンチレータの交換が実施された。320・323・328・331の4両は更新対象から外され、2両編成で日生線専用車となったが、車内灯はグローブ式白熱灯から管球式電灯に変更された。 1980年代に入ると車齢が45年を超えて老朽化の進行とATSの設置が困難なことから、1983年以降1500系への置き換えが開始された。その後も未更新車4両が残っていたが、1986年12月7日に500形と組んでさよなら運転を行ったのち、同年12月20日付で廃車となった。 328が平野車庫に保存されていたが、1992年に解体された。
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