能勢電気軌道70形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/14 08:29 UTC 版)
「阪急37形電車」の記事における「能勢電気軌道70形」の解説
1940年代の能勢電気軌道の主力車両は、自社オリジナルの31形6両と阪急から借り入れの40形3両を中心に、九州鉄道三井線から転入してきた37形2両であった。戦後の混乱期には物資不足で車両の修理もままならないうえに、それ以前から37形は故障がちであったことから、慢性的な車両不足状態が続いており、時には無蓋電動貨車まで動員して乗客輸送にあたっていた。 こうしたことから、同社では阪急で運用機会の狭まっている本形式を譲り受けることとなり、前述のとおり1948年6月から38・39を借り入れて使用を開始し、10月1日付で譲渡契約を締結して3両とも購入することとなった。ただ、譲渡日(入線日)については能勢電・阪急双方で多少のずれがあり、能勢電側では38が譲渡日と同じ10月1日、39が11月20日、37が連合軍専用車の指定解除後2週間以内となっているが、阪急側資料では37が9月18日、39が10月、37が1949年2月5日となっている。もっとも、37を除いて譲渡契約以前から入線していることから、譲渡日については書類上だけのものであるといえる。 能勢電入線に際してパンタグラフのトロリーポールへの換装やフェンダーの装着が行われたほか、能勢電では不要となる弱め界磁装置が撤去された。それ以外には大きな改造は施されなかったが、37形と番号が重複することから車番を変更することとなり、37 - 39から70形71 - 73へと改番された。本形式の就役に伴い、車両運用に余裕ができたことから酷使されていた31形の更新修繕を1949年から1950年にかけて実施することができた。 その後1952年には沿線の商店が池田市内で仕入れた鮮魚や野菜を運ぶ荷物電車を運転するために、72が荷物車に改造された。残った71と73は能勢電近代化の第1陣として鋼体化改造を実施されることとなり、まず71が1953年8月に50形に改造され、51となった。73も1954年12月に50形52に改造されて、先に入線していた40形より先に本形式が鋼体化されて姿を消すことになった。
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