能勢電気軌道→能勢電鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 09:00 UTC 版)
「阪急500形電車 (2代)」の記事における「能勢電気軌道→能勢電鉄」の解説
一方、残った506・507・510~530の23両は、先に転入していた320形に続いて能勢電気軌道に貸与されることとなり、1967年10月までに平野車庫に搬入されて構内に留置された。 同社では、同年10月3日付で得た518~523の貸与契約を阪急との間に同年10月24日付で成立させて整備の上運行を開始、最後まで残っていた元P-4・P-5の10・20形を置き換えるとともに、川西能勢口駅-鶯の森駅間の複線化に伴う同年12月3日のダイヤ改正に伴う輸送力増強に寄与した。引き続いて1968年4月1日付で524~529を借入し、4月24日のラッシュ時3連運転開始時には、先に投入されていた518~523ともども編成の前部に320形を連結して運用された。残る11両の借り入れについては、1971年4月7日からに川西能勢口駅-平野駅間において4両編成での運行を開始したことから同年5月10日付で506・507・510・511・517の5両を借り入れ、1972年4月8日からは4両運行が全線に拡大されたことから、残る6両についても同年9月30日付で借り入れを行い、搬入された23両全車が能勢電気軌道での運行を開始した。 その後320形同様車籍が阪急にあることで阪急所有車両の平均車齢が上昇することから、阪急から能勢電に対して購入依頼があり、1968年までに貸与された12両については1973年3月1日付で能勢電気軌道に譲渡され、残る11両も1977年6月14日付で譲渡された。 能勢電入りに際しては、当時存在した急カーブを曲がる際に支障となる標識灯の埋め込み化や、ジャンパ栓の内側への移設が行われた。また、借り入れ開始まで長期間留置されていた506〜517・530については、再使用時の車体整備の際に、車内がクリーム色に塗り潰されている。 能勢電気軌道入線後は、社名が能勢電気軌道から能勢電鉄に変わっても、本形式は320形や380形、1977年以降に入線した610系とともに主力車両として走り続け、大きな改造もなく使用されていた。1975年には、この時点で先頭車として使用されていた車両に列車無線が設置され、実質的に4~5両編成固定化された。 昭和50年代に入ると老朽化が目立つようになり、特に屋根回りの老朽化は雨漏りがするなど深刻な状態で、一部ベンチレータやランボードの撤去が行われた。1979年から1980年にかけて車体更新され、電動発電機の設置や車内灯の蛍光灯、屋根回りの整備、前照灯のシールドビーム化などが実施された。一方、列車無線を取り付けられていなかった車両の運転台が撤去された。518・519の2両は更新対象から外され、日生線で2両編成で使用され続けたが、室内灯はグローブ式の白熱灯から管球に変更されている。 更新も終了し、引き続き使用されるかと思われた本形式であったが、ATSの取り付けが困難なことから、320・380形同様、1983年以降1500系への置き換えが開始され、同年8月に506-507・520~523・528-529の8両が一度に廃車されたのを皮切りに、1984年7月に524~527の4両が、1985年8月には 510~517・530の9両がただ1両再起した380形383とともに廃車された。 その後も518-519の2両が残り、残存の320形とともに5両編成を組んで日生線で使用されたが、1986年12月7日にさよなら運転を行ったのち、同年12月20日付で廃車され、能勢電鉄の輸送力増強に多大な貢献をした本形式は姿を消した。
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