借入車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 02:19 UTC 版)
阪和電気鉄道の建設に当たり、前述の600形3両のほか、近江鉄道からナスミス・ウィルソン製で鉄道省の600形の同型機である1・2号機を借入れて1929年1月から約1年間使用しており、こちらは建設工事後に返却されている。 1932年6月25日認可で、大阪電気軌道から旧吉野鉄道のモハ201形を同年8月31日までの期限で3両を借入れている。モハ201形は床面高さが阪和電気鉄道の車両より低い1215 mmで、さらに乗降扉下部にステップが設置されていたため、乗降扉下部のステップ部に踏み段を設置し、台車心皿部に13 mmのライナーを挿入して対応することとされていた。 1934年9月21日に関西地方に被害をもたらした室戸台風により、阪和電気鉄道も同日より運休となり、その後自社施設が復旧した後も電力会社からの電力供給が不安定になったため一部区間で電車の運転ができず、9月21日付の認可内諾で鉄道省より8620形蒸気機関車1両を、翌9月22日の認可内諾で和歌山鉄道より気動車1両を借り入れ、電車運転ができなかった阪和岸和田 - 山中渓間で使用された。これらの車両は9月23日に電車運転が再開された後に返却されている。 1938年4月15日で、鉄道省の31系のモハ34形・クハ38形計6両を、日曜祭日の旅客増への対応と阪和電気鉄道が増備車両数が申請より削減されたことの代替として借入れる旨の申請が認可されて、大阪鉄道局が東京鉄道局から借入れていた31系のモハ34形・クハ38形計10両の中から6両を借用した。その後同年6月4日付で借入の延長が認可されて、モハ34形・38形のほか、42系のモハ43形・クハ58形も多客期に随時借入れられるようになっている。
※この「借入車」の解説は、「阪和電気鉄道の車両」の解説の一部です。
「借入車」を含む「阪和電気鉄道の車両」の記事については、「阪和電気鉄道の車両」の概要を参照ください。
- 借入車のページへのリンク