研究初期
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一浪の末に、昆虫研究も扱う農学部を有する弘前大学に進学。大学3年生になると安藤喜一教授の研究室に所属して昆虫学を専攻し、イナゴの研究に着手した。しかし安藤が退官予定のため、修士課程は弘前大学以外への進学を検討することとなる。各校の受験に失敗する日々が続くも、大学4年生の秋に学会で訪れた富山県で、偶然にも田中誠二と引き合わされた。田中は日本でも蝗害を引き起こしてきたトノサマバッタ研究で知られる昆虫学者であり:1、弘前大学卒業生でもあった (大学卒業は前野の28年前と年齢は開いている):686。酒席で前野が自身の研究熱意を伝えると、酔った田中から「僕のところに来て研究しないか?」とオファーを受けることになった。当時の田中は茨城県つくば市にある国立研究開発法人 農業生物資源研究所 (NIAS) に所属していたことから、前野はNIASから近い茨城大学大学院農学研究科修士課程 (稲敷郡阿見町) に在籍しつつ、田中の元で研究を継続することとなった。 田中からの助言もあって、以降はトノサマバッタの近縁であるサバクトビバッタの研究を行うようになる:1。NIASAで前野が最初に手掛けたのは、人工的なホルモン注射の投与である。特にサバクトビバッタの相変異 (群れの中で育つと獰猛化して体色を変化させ、長距離飛翔を可能とする長い翅を持つようになる変身現象:681) に興味を持ち、サバクトビバッタの生態解明を通じたアフリカの貧困救済に熱意を注ぐ。修士課程修了後は、神戸大学大学院の博士課程に進んで竹田真木生教授に指導を仰ぎつつも、つくばでの田中との共同研究生活を続け、田中とは共著論文を学会に複数本発表している。 田中との共著論文の一部を例に挙げると、サバクトビバッタの脳内で合成されるホルモン (神経ペプチド) の一種、コラゾニン(英語版)が相変異に作用しているとの発見がある。既に1954年には孤独相 (サバクトビバッタ同士で避け合って生息するモード) に誘導するホルモンはジョリー夫妻の研究で判明していたが、逆に群生相に誘導するホルモンは半世紀が経過しても見つかっていない状況であった。また孤独相では比較的小さな卵を産むが、産卵期を迎えた孤独相のメスを1か所にまとめて飼育したところ、相変異を起こした群生相と同じような大きな卵を産む変化も偶然ながら発見した。そしてこの「混み合い」状況をメスはどのように感知しているのか、仮説を提唱した:4–5。前野の博士論文も「サバクトビバッタの相変異:混み合いに対する生理的適応と子に及ぼす母親の影響」と題するものである。 前野はNIASAで担当した研究とは別に、単独でサイドプロジェクトも立ち上げ、新しいテーマ探しをしていた。自ら見つけた現象を研究したいとの志を抱いて、アイディアを思いつくとすぐに田中に相談するものの、「うん。やりたかったらやったらいいんじゃない。僕だったらやらないけどね」と実質却下の連続だったという。最終的にNIASAでの研究は8年間におよび:2、前野はバッタを実験室内で人工的に飼育し、日照や気温など安定的に管理した環境下で実験を行っていた:1。効率的に実験データは収集でき、当時の執筆論文は計22報にものぼる。しかし、野生のバッタの本能的な行動原理を理解するには至らず、次第に机上の空論ではないかと悩むようになる:1:1。実際、野生と全く同じ相変異の室内再現は世界的に誰も成功していない (2009年時点報告)。さらに、バッタ研究開始から2年が経過した頃、前野はバッタアレルギーを発症し、以降はバッタに直接触れると蕁麻疹が出る苦難を抱えるようになった。
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研究初期
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2013年(平成25年)、岸本は自ら発見した本種の化石7点を「兵庫県立人と自然の博物館」に寄贈している。寄贈された博物館は、翌2014年(平成26年)2月11日に岸本への感謝状の贈呈式を執り行うとともに、同館内にて岸本由来の本種化石7点の臨時展示を同日から4月6日まで行った。 2015年(平成27年)には、洲本市立淡路文化史料館にて企画展『淡路島の化石たち』が開催されており、ランベオサウルス亜科に属する化石種と見做されたうえで、本種化石標本のレプリカが展示された。 その間、フクイサウルス(別名:福井竜)やカムイサウルス(別名:むかわ竜)の研究でも知られる古生物学者・小林快次を始めとする研究者たちによる本種化石標本の分析が始まっていた。
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研究初期
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1980年代、ビアーズはハーバード大学の特別研究員の時に、ボストン周辺の850人の高齢者施設居住者における、抗精神病薬やジフェンヒドラミン、鎮静催眠剤といった向精神薬の使用を調査し、そうした薬は制限なく用いられ、一部では医療職員による綿密な監督がなく、これらの薬による利益が得られておらず、しばしば混乱や身体の震戦といった副作用の原因になっていた。 1990年11月、『アメリカ老年学会誌』にて、高齢者のカルテにおける服薬履歴には、46%の患者に3つ以上の誤りがあるため、カルテが服薬履歴の正確な情報源ではないことを報告した。
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