真岡・大泊上陸作戦とは? わかりやすく解説

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真岡・大泊上陸作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:01 UTC 版)

樺太の戦い (1945年)」の記事における「真岡・大泊上陸作戦」の解説

ソ連軍は、第3期作戦補助作戦として真岡上陸作戦計画していたが、国境方面戦況などにかんがみ8月15日真岡上陸作戦発動準備下令した。その目的は、日本側の本土へ引き揚げ阻止と、北海道侵攻のための拠点早期確保にあった上陸部隊の第113狙撃旅団主力(約2,600人)と海軍混成歩兵大隊(820人)は、18日間宮海峡付近のポストヴァヤ湾とワニノ湾で輸送船5隻と掃海艇4隻、警備艇9隻に乗船し、翌19日朝に出航した上陸部隊指揮官は第113狙撃旅団長I・Z・ザハーロフ大佐船団指揮官A・Iレオーノフ海軍大佐だった。 日本側は、真岡港を本土へ引き揚げ乗船地として使用中で、町は地元住民避難民1万5000人以上であふれていた。守備隊としては歩兵第25連隊主力置かれていたが、すでに軍旗焼却や約1割を占め古年次兵の除隊特設警備隊防衛召集解除などを完了していた。歩兵第25連隊のうち第1大隊だけが海岸正面陣地構築中だったが、8月16日海岸陣地市街地から兵を引き上げ、1-2km内陸の荒貝沢谷地テント張って野営して待機した市街地付近に残されたのは、監視哨機関銃連隊砲各1個分隊戦力のない陸軍船舶兵程度であった8月20日日本時間午前6時頃(ソ連側記録によると午前7時半頃)、警備艦敷設艦各1隻に護衛されソ連軍船団が、真岡上陸開始したソ連軍浅瀬座礁した魚雷艇日本軍先制射撃受けたため艦砲射撃応戦した記録しているのに対し日本側は舟艇座礁目撃した射撃加えていないと記録している。ソ連軍艦砲射撃援護され侵攻ソ連側記録12時頃までに港湾地区を、14時頃までに市街地占領した港内にあった貨物船交通丸」と機帆船漁船は、拿捕されるか撃沈された。日本記録によると、日本軍一切発砲禁じて内陸高地の影に後退し豊原方面へと民間人誘導するとともに軍用物資放出して配布したソ連側記録は、市街戦建物地下室立て篭もった日本軍掃討し、日本兵300名以上を死傷させ、600名以上を捕虜にしたとするが、日本記録によると真岡市街には防御陣地はなく、日本軍応戦していない。攻撃目標にされたのは民間人、特に軍服類似の国民服着用していた者だった。占領当日ソ連軍は街の要人らを呼び出し海岸連行し銃殺町長重傷生存)、日本軍派遣した軍使第1大隊副官らも拘束のうえ射殺された。電信局女性職員集団自決した真岡郵便電信局事件起きている。ソ連側は、自軍損害として、陸軍60人と海軍歩兵17人が死傷したとしている。 ソ連軍行動見た日本軍は、衛戍勤務12条と13条(警察行動類する規定)に基づいて限定的な武器使用許可行い8月20日15時30分頃に山中ソ連軍小競り合い生じた8月21日になって豊原向けて進撃始めたソ連軍は、日本歩兵第25連隊第1大隊攻撃し日本側も自衛のため応戦した次第浸透され日本側は同日夜に逢坂撤退し新たに第3大隊熊笹峠宝台ループ線布陣させた。ソ連側逢坂集落など各地空襲艦砲射撃行いながら進撃し日本側は豊原防衛のために熊笹峠などで8月22日まで遅滞戦術をとった。日本側は衛生兵までが白兵戦行った豊原8月22日には空襲を受け、避難民集結していた駅前広場周辺焼夷弾などを浴びた豊原駅には白旗掲げられ広場救護所には赤十字対空標示があったが、何度も空襲繰り返され100名以上が死亡400戸が焼失した全ての民家屋根には大きな白旗取り付けられたがソビエト軍猛爆撃を行った8月22日夕刻に、第88師団司令部からの降伏命令歩兵第25連隊届きソ連側交渉の後に8月23日までに武装解除終わった。この交渉の際にも軍使一行銃撃受けて死傷している。その後豊原占領時にも、海軍武官府から派遣され軍使主計大尉が、「交渉中に刀で斬りかかった」として射殺されている。真岡戦いで日本軍の損害は、停戦直後調査では第88師団所属137戦死とされたが、その後の調査総数300人を超える推定されている。 8月23日早朝ソ連軍真岡から海軍歩兵混成旅団(3個大隊)を出航させ、翌日本斗経由して8月25日大泊上陸した日本軍抵抗はなく、大泊海軍基地などが占領された。このほか真岡北方の小能登呂飛行場は、輸送機強行着陸したソ連海軍空挺部隊によって、8月22日占領されている。

※この「真岡・大泊上陸作戦」の解説は、「樺太の戦い (1945年)」の解説の一部です。
「真岡・大泊上陸作戦」を含む「樺太の戦い (1945年)」の記事については、「樺太の戦い (1945年)」の概要を参照ください。

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