真岡藩・真壁藩・笠間藩・赤穂藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:05 UTC 版)
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下野国真岡藩2万石(1601 - 1611年) 常陸国真壁藩5万石(1611 - 1622年) 常陸国笠間藩5万3500石(1622 - 1645年) 播磨国赤穂藩5万3500石(1645 - 1701年)、1671年に分家を2戸創設のため分地により5万石に変更浅野長重(浅野長政の三男)の系統。1701年に浅野長矩が吉良義央に対して殿中で刃傷に及び改易。長矩の弟・浅野長広が、宝永7年(1710年)に安房国のうちで500石に減封となったが旗本に復した。その後、長栄で男系は絶え、長楽の代で断絶した。
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