由来とされる物語とは? わかりやすく解説

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由来とされる物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 04:22 UTC 版)

高安 (高畠町)」の記事における「由来とされる物語」の解説

昔、高安田地人家少なく山に囲まれていて、東北方の山が切れる道を除いては人が通行する道がなかった。こうした山間地のだったため役人存在気付かず作り取り年貢必要ない生活をしていた。しかし平安初期文徳天皇在位時代(850858年)、役人家来連れてやってきて、「今まで年貢納めなかったことは許す代わりに天子召使いとして11歳までの子供を毎年貢物として捧げるよう」と云い渡し帰った。こうして、毎春秋(3月9月)に子供一人ずつ捧げるようになり、活気失われた。ある春の夕方、11歳の娘を貢物捧げる家が決まり悲しみ包まれに、どこからか座頭盲人琵琶法師当道座のうちの1つ階級)が現れ、「都から参詣に来たものの、道に迷ったため案内して欲しい。また、もう夕方のため泊めて欲しい」とお願いした。それに対し主人が「今晩の2時に人年貢として娘を差し出なければいけないので泊められない」と伝えた。それでも疲れ果てていた座頭は、「庭の片隅でも」と懇願したため、同情した主人一飯振る舞い馬小屋2階泊めた。夜が更けて2時ごろになると、役人家来大勢やって来たので、村人赤飯し、役人達は能のようなものを舞った。その文句には「甲斐国三毛四毛にこの事必ず沙汰すな、語るな、聞かすな」とあった。そうして娘は連れ去られ村人達は愁傷した。座頭一晩中寝ることなく様子窺っており、夜が明けると主人元へ行き昨夜のことを事細か聞いていたが、あれは天子遣わした役人では無く人間所業とも思えない。さらに、舞っていたのは能ではなく途中文句甲斐二十一社1つ八代郡南宮宝性大神社の2。これを恐れているということは狐狸の類に違いない一刻も早く甲斐国にて2借り退治しなさい」と告げ願書用意した。すぐに村人2人が甲斐国向かい南宮宝性大神社宮守役人懇願し2匹借りてきた。このは、唐犬似て両耳垂れて頭の毛長い逞しい体つきだった。座頭はなおも滞在していて、退治のための指揮をしていた。村人2人を役所遣わし捧げた子供食べさせて欲しいとご馳走を渡させた。また、役人達にもご馳走振る舞いたいが水物のため持参できない伝えた後日差し上げたいご馳走を沢山作ったが持参できないため来てほしいと懇願した。すると、明晩30人弱の役人などがやって来た。そこで、で一番大きい家に煮た鍋を2ヶ所に置いて匂わせ大きい窓には外から板を打ち、壁にも板をはり、戸口を1ヶ所だけにして、三毛四毛金櫃入れ退治備えた。そして役人はやってくるなり、早々に持参していたや狭箱などおいて奥屋敷向かった役人ご馳走なので燈火村人云うので、燈火消して戸口閉めや否や凄まじい音をたてて役人達は食べ始めた塩辛い食べ始めると、どんどん酒を飲み酔っ払っていった。そして様子見計らい三毛四毛から出して戸口まで連れて行き役人に「あつもの差し上げたい」と云い戸を開き中に入れ戸口びっしり閉じた中に入る否や大将役人飛びかかり食い付いたくうくうという音は聞こえたものの、さすが年経た古狸だけあり弱る気配もなく大乱闘となったその他の狸酔っ払い前後不覚の状態のため逃げ惑い、窓にぶつかるものもいれば、壁に当たって逃げようとするものもいた。しかし、板を打ちつけてあったため逃げることができず狼狽えていた。しかし、大勢対し2匹相手をしなければいけなかった為、すぐに勝負がつくことはなかったが、三毛四毛2匹大将食い殺した残り戦意失い、喉首を食い千切られ全滅座敷静かになったところで村人達は燈火を点け中に入ると、仔牛ほどの大きさ古狸その子分達が血まみれ死んでいた。しかし、何年生きていた古狸相手大乱闘となったこともあり、三毛四毛も数カ所傷を負っていた。村人達は急いで介抱したものの、間も無く息を引き取ったその時紫雲棚引き「三毛四毛葬り祠堂を建て鎮守と仰ぐべし。そうすることで悪魔から守られこれから生まれる子は無難に育つ」との旨が紫雲の中から聞こえた。そして村人達は手厚く葬り、そこに小宮を建て、犬の宮子易真子大権現として崇めるようになった。また座頭正体愛宕山地蔵尊で、危機から救うため座頭の姿に返信村人前に現れた。

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由来とされる物語

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高安 (高畠町)」の記事における「由来とされる物語」の解説

昔、高安中々育たない庄屋がいた。様々な種類飼ったものの、1年程経つと姿を消して行方がわからなくなっていた。困った庄屋夫婦は、丈夫な授けて貰うため犬の宮日参するようになった。するとある日夕方庭先に1匹の迷い込んできた。白斑の子で人懐っこく寄り添ってくるため夫婦喜び犬の宮からの授かりものだと大切に育てた1年経つ頃には夫婦によく懐き、更に利口だったため人の言うことを聞き分けていた。その為、夫婦我が子のように育てた。しかし、ある時庄屋おかみさん正体不明の病に罹り、いくら看病して一向に容態良くならなくなった。すると、片時もおかみさんの傍を離れないようなり、用をたす時も常に走り寄り、終わるまで目を光らせるほどだった。流石に気味悪く思ったおかみさんは、夫へ相談すると「考えがある」と作戦練った。そしてある日おかみさん着物着て便所へ向かうといつものように付いてきた来たので、「恩を仇で返す畜生め、成敗してやる」と隠し持っていた刀で首を打ち落とした。「ギャッ」と一声あげ、その首は天井飛び上がり瞬く間大蛇鎌首噛みつきドサっと血まみれ落ちてきた。呆気に取られた庄屋は「悪いことをした。こんなにも忠義なを殺すことはなかった」と嘆き涙を流しながら首を抱いて謝った夫婦共々悲しみせめてもの供養をしようと人を葬るのと同じよう篤く弔ったその後1376年永和2年)にこの為に建立され祠堂猫の宮高安人々は酒十盃と豆腐十丁を持参しお参りすると云う。尚、退治した大蛇高安から北東へ約600メートルの場所に位置する小郡山部落埋められ、その塚は壇という史跡として残っている。また天敵である鼠を獲るのがのため守り神として猫の宮養蚕神様として参詣されていた。当初猫の宮小さな石堂だったが近郷から養蚕神様として参詣する者が増えたため木造御堂建てられた。また、1828年文政11年8月には現在の御堂再再建された。(高安33-34)しかし、養蚕廃れてくると子猫子犬捨てる人が後をたたなくなった以前神様良いところに縁づかせてくれるだろうと鰹節一本添えられてたと云う。そのため、捨てないようにと立て札立てられた。 高畠町郷土資料館長の推測では上述した2つ伝説律令時代中央集権不本意な政策抵抗する村人の姿を託し役人大蛇見立てたなのでないかと云う

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