現役引退・引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:58 UTC 版)
2013年1月場所は幕下陥落の危機が囁かれる中で土俵に上がり、肩の故障を抱えながら奮闘したものの、12日目に9敗目を喫した時点で幕下陥落が決定的となった。そして千秋楽に若荒雄を下して5勝10敗として有終の美を飾り、現役引退を表明した。会見では引退の理由について、「自分の体が結構ぼろぼろになっている」などと述べた。同日付で年寄・振分を襲名した。 引退相撲・断髪式は2013年10月6日に両国国技館で行われ、断髪式ではやくみつる、中尾彬、白鵬翔ら角界・芸能界の著名人が大銀杏にはさみを入れた後、入門時の師匠である12代東関・高見山が最後に大銀杏を切り落とした。 2017年3月場所は場所を休場した陣幕(元幕内・富士乃真)の代役として初めてとなる勝負審判を務めた。しかし9日目には、最初の2番こそ協議の説明をきちんと行えたが、3度目に物言いが付いた琴太豪-千代嵐戦では「両者の体が…」と言った後に、通常なら「落ちるのが同時と見て取り直しにします」と続けるところだが「が…と…ど……」と次の言葉が出てこない。向正面の錣山(元関脇・寺尾)が「落ち着け」と言わんばかりに、両手を下げるポーズを取り、ようやく「土俵の外に出ており取り直しにします」という表現で終えた。 2017年8月、板柳町のりんごの里板柳応援大使に就任。 2018年3月28日に審判部に配属され、審判委員を務める。また社会貢献部の一員として、本場所前に国技館周辺の清掃活動にも参加している。 2019年12月13日に、2009年6月から部屋の師匠を務めていた13代東関(元幕内・潮丸)が2019年12月13日に41歳で死去。「自分より強い人が何で急に体調を悪くするのか。信じられない」とコメントしており、師匠不在となった東関部屋は八角部屋に一時預かりとなった。 本人は引退会見で「部屋持ちになるつもりは無い」と話していたが、その後、13代東関の遺族と高砂一門内での話し合いにより東関部屋を継承することが2020年1月30日に報じられた。同月30日の相撲協会理事会で継承が承認され、12代・13代東関と同じく「東関大五郎」を名乗ることになった。同日に両国国技館で行われた師匠会に初めて参加し、「いろいろ考えた。自分が親方として相撲を教えるだけじゃなく相撲がダメになったとしても第二の人生を考えてやらないと。正直、今も落ち着かなくてドキドキしている」とその重責への思いを明かしている。 一部報道では、14代東関は自分の純粋過ぎる性格を自覚しているからこそ部屋経営には乗り気でなかったが、2016年に町興しの一環として部屋が葛飾区に移転したばかりである以上部屋継承を引き受けないわけにはいかず最終的に継承に至った、という分析がされている。 元々1年間の暫定措置という約束で師匠就任を引き受けたが、実質的な13代東関の後継者が就任する見通しが立たなかったため、2021年3月場所を最後に東関部屋が八角部屋に吸収合併される可能性が高いと同年3月場所前に報じられた。14代東関は日本相撲協会を通じて出したコメントでは「部屋の力士たちにとって、よりよい稽古環境などを求め、八角理事長に相談させていただき、3月場所を最後に東関部屋を閉鎖して力士たちと八角部屋に転属させていただく決断をしました」などとしており、所属する力士たちとともに4月1日付で八角部屋に移籍、部屋付き親方として指導に励むという。 2021年3月場所中、継承の話が出ていた2020年1月場所中、理事長がバックアップを約束して説得していたと報道されている。理事長が説得してやる気になったかと思えば「やっぱり無理です……」と理事長室へ通う状況となっていたという。部屋の師匠を務めていた1年の間は通いの形で指導をしており、ただ稽古を見守ってから弟子ともちゃんこを囲まずにすぐ帰っていたと後援会関係者がコメントしている。。 同年3月12日に、13代おかみがブログで経緯説明を行った。それによると、13代死去の後、部屋の力士たちと個人面談を行ったところ、力士たちが残留を望んだという。そのため話し合いを重ね、マネージャーと13代おかみがサポートをしていたが、暫定期間の1年間をコロナに翻弄されるかたちになってしまった。事務・経理の手続きが進まず、また引退する力士のペースとスカウトのペースのバランスが取れなくなってきたことなどの問題が出てきて、さらに14代が師匠としての悩みを一人で抱え込んでしまったことが伺え、マネージャーとでは支えきれなかったと述べている。 2021年3月場所10日目、幕下の東照山 - 千代の勝戦に物言いが付いた際、「軍配通り」という協議結果であったところ「両者同体で取り直し」という内容に言い間違え、15代浅香山に促されて訂正した。 2021年7月場所の番付から、年寄名を「東関大五郎」から「東関精彦」に改名した。「東関大五郎」は12代東関時代から代々受け継がれていた年寄名であったが、下の名を自身の本名に改めた形になった。 靖国神社奉納大相撲(2009年4月10日撮影) 明治神宮例祭奉祝 奉納70回全日本力士選士権大会(2011年10月3日撮影) 平成24年9月場所(2012年9月30日撮影) 平成29年3月場所(2017年3月17日撮影)
※この「現役引退・引退後」の解説は、「高見盛精彦」の解説の一部です。
「現役引退・引退後」を含む「高見盛精彦」の記事については、「高見盛精彦」の概要を参照ください。
- 現役引退・引退後のページへのリンク