演劇の世界へとは? わかりやすく解説

演劇の世界へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 18:56 UTC 版)

森繁久彌」の記事における「演劇の世界へ」の解説

1936年必修とされていた軍事教練拒否して大学中退同年長兄・弘の紹介東京宝塚劇場(現・東宝)に入社し日本劇場舞台進行係振出しに、東宝新劇団、東宝劇団古川ロッパ一座劇団渡り歩いて下積み過した下積み時代馬の足などしか役が付かなく、日劇藤山一郎ショー舞台進行務めた時、藤山頼み込み通行人警官役で舞台に立つも全くウケなかったなどの辛酸を嘗めた。しかし、ロッパ一座では座長古川から認められのちのちまで目をかけられた。この頃盟友となる山茶花究出会う1937年ロッパ一座退座1938年応召されるが、耳の大手術をした後だったため即日帰郷となった1939年NHKのアナウンサー試験合格アナウンサーになったきっかけは「徴兵制度避ける為。海外へ赴任出来当時としては数少ない仕事であったから」と、後の著書記している[要文特定詳細情報]。3ヶ月養成期間終了後満州朝鮮各地放送局拡大によるアナウンサー海外赴任策により希望通り満洲渡り満洲電信電話新京中央放送局赴任したアナウンサー業務のほか満洲映画協会製作の映画ナレーション等も手掛け満映理事長だった甘粕正彦とも交流があった。同じ満洲電電に務めていた赤羽末吉(のちに絵本作家)とも親交を結ぶ。また、満州各地回った時のルポルタージュ国定教科書高等国語二)に採用された。さらに、満州巡業に来た5代目古今亭志ん生6代目三遊亭圓生らとも親交を結び、新京劇団所属していた芦田伸介とも知り合ったアナウンサー時代指導した後輩糸居五郎がいる。 満州時代には、川一本隔てたソ連軍対す謀略放送行ったり、蘭花特別攻撃隊B29体当たり攻撃を行う航空隊本土での「震天隊」に相当))の為の歌『空に咲く』の作詞行っている。1945年敗戦新京迎えソ連軍連行されるなどして苦労の末、1946年11月帰国この年徳島県海陽町旅館宿泊中に昭和南海地震遭遇している。

※この「演劇の世界へ」の解説は、「森繁久彌」の解説の一部です。
「演劇の世界へ」を含む「森繁久彌」の記事については、「森繁久彌」の概要を参照ください。


演劇の世界へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:35 UTC 版)

早川雪洲」の記事における「演劇の世界へ」の解説

自伝によると、金太郎俳優になったのは、ロサンゼルス日本人街リトル・トーキョーある日劇場芝居見たのがきっかけだという。その芝居藤田東洋座長日本人劇団公演だったが、金太郎内容あまりにも古臭い感じたため、藤田会って文句をつけ、もっと新し芝居自分やらせてほしいと申し込んだ。そこで金太郎提案したのは、台詞暗誦できるほど愛読した不如帰』の舞台化であり、それまで芝居経験がないにもかかわらず自身主人公川島武男を演じると意気込んだ金太郎その場台詞暗誦してみせると、藤田感心して話に乗り金太郎ロサンゼルス手に入れた原作脚色し自身主演上演することになった。この公演評判呼び自信をつけた金太郎俳優になる決心がついた。 その後金太郎藤田素人劇団一員となり、日本見た芝居思い出しながら脚本書いて主役演じロサンゼルスサンフランシスコシアトルなどのアメリカ西海岸都市ある日本人街を公演して回った1911年には羅府文芸協会設立者名を連ね文芸劇のためにイプセンシェイクスピアトルストイ作品日本語翻訳した。しかし、芝居だけで十分に生活することはできず、氷運びなどの仕事をして生活費稼ぎ、寝る間を惜しんで芝居稽古脚本勉強をした。自伝で「この時は舞台にたって早川という名前ではなくて、ほかの名前を使ってやっていた」と述べているが、中川織江によると、金太郎素人劇団在原狂夫(ありはらたけお)という芸名名乗っていたという。この芸名在原業平から「在原」をとり、『不如帰』の主人公の武男に音をそろえて「狂夫」にしたと考えられている。 やがて金太郎日系人向けに芝居打っているだけでは飽き足らずアメリカ人相手芝居をやろうと考えメルヒオール・レンジェル戯曲タイフーンの上演を企画した。この作品パリ暗躍する日本人スパイのニトベ・トコラモが良心の呵責破滅するまでを描く悲劇で、ヨーロッパアメリカで上演されて高い成功収めていたが、それらの舞台で白人日本人演じていたため、金太郎本物日本人演じることで他との差別化図ろうとした。金太郎は自らプロデューサーとなり、資金集めキャスティング自分行い1913年開幕する大きな成功収めた中川によると、金太郎早川雪洲という芸名名乗るようになったのは、『タイフーン』の公演からだったという。自伝によると、金太郎西郷南洲西郷隆盛)を尊敬していたことから、はじめはそれに因んで北洲」という芸名名乗っていたが、そのうち同名の人物がほかにいることが分かったため、北には積もっていることから「洲」を名乗ったといい、室町時代禅僧雪舟とは関係はないとしている。

※この「演劇の世界へ」の解説は、「早川雪洲」の解説の一部です。
「演劇の世界へ」を含む「早川雪洲」の記事については、「早川雪洲」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「演劇の世界へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「演劇の世界へ」の関連用語

演劇の世界へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



演劇の世界へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの森繁久彌 (改訂履歴)、早川雪洲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS