演劇の砦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 00:07 UTC 版)
1976年(昭和51年)、吉沢は下北沢に吉沢演劇塾を開設、スタニスラフスキー・システムの思想・美学の実践の場とした。同塾での活動を母体に1988年(昭和63年)、劇団京を設立した。 1999年(平成11年)には、劇団京の創立10周年記念公演として、同年2月5日 - 同14日に本多劇場で『桜の園』(作アントン・チェーホフ、訳中本信幸)を公演、その演出をし、同年3月19日 - 同24日にはミニシアターKYOで吉沢演劇塾の卒業記念公演『アディオス号の歌』(作秋元松代、演出浜中昭子)の総合指導を手がけていたが、同年10月27日、肺癌のため東京都立川市錦町の自宅で死去した。満70歳没。劇団葬が同年11月28日、東京都港区芝公園の増上寺で行われた。長男は劇作家・演出家の吉澤耕一(1960年 - )、次男は吉澤はじめ(1965年 - )である。 吉沢没後も劇団は継承され、劇団京は2003年(平成15年)4月21日に特定非営利活動法人格を取得し特定非営利活動法人劇団京になり、代表は同団の育てた演出家である浜中昭子が務める。2004年(平成16年)4月、ペレジヴァーニエ・アートシアター、スタジオ・ソンツェとともに東京ノーヴイ・レパートリーシアターを結成した。
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