演劇への回帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/03 17:00 UTC 版)
「ヴィクトル・シェストレム」の記事における「演劇への回帰」の解説
監督業から引退したシェストレムは、1939年から1943年にかけて演劇の世界に没頭する。しかし1943年には彼の所属するSvensk Filmindustri社の上層部に乞われて、再び映画業界で後進の育成を担うことになった。この時期にシェストレムは、当時まだ新進気鋭の脚本家であったイングマール・ベルイマンと知り合い、彼に様々な助言を行っている。1945年にベルイマンが『危機』で監督デビューを果たしたとき、社内で孤立したベルイマンの味方となったのはシェストレムただ一人だったと言われている(シェストレムはこの映画でプロデューサーを担当)。1949年にSvensk Filmindustri社を退社したシェストレムは、殆ど数えるほどしか映画に出演していなかったが、1950年にはベルイマンの監督作品である『歓喜に向かって』で、年老いたオーケストラの指揮者を演じている。 1950年代のシェストレムは青年時代のように、劇団を率いて各地を巡業する生活を開始する。当時のシェストレムがしばしば演じた役として、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』に登場するウィリー・ローマン役などが挙げられる。また、この時期に下積み時代のマックス・フォン・シドーとも共演を果たしている。
※この「演劇への回帰」の解説は、「ヴィクトル・シェストレム」の解説の一部です。
「演劇への回帰」を含む「ヴィクトル・シェストレム」の記事については、「ヴィクトル・シェストレム」の概要を参照ください。
- 演劇への回帰のページへのリンク