権利章典とは? わかりやすく解説

権利章典(修正第1条-第10条)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 00:06 UTC 版)

アメリカ合衆国憲法」の記事における「権利章典(修正第1条-第10条)」の解説

英語版ウィキソースに本記事関連した原文あります。権利章典(英語) 詳細は「権利章典 (アメリカ)」を参照 権利章典は、アメリカ合衆国憲法最初修正10か条である。これは、1788年発効したアメリカ合衆国憲法対し各州憲法批准会議トーマス・ジェファーソンフランス駐在特命全権大使であったために憲法制定会議代議員ではなかった)のような著名な政治家から、中央政府専制的なものになりかねないとの批判受けて提案されたもので、連邦政府権限制限する内容であった。これらの修正条項1789年連邦議会から提案されその時点では12修正条項から成っていた。1791年までに規定上の州が10か条を批准し、この10か条が憲法に追加され、権利章典と呼ばれることになった制定され当初は、権利章典は各州には適用されない解釈されていた。「連邦議会は……」と規定していた修正第1条のように、連邦にのみ規定されることが明らかな規定一部あった(したがって建国当初いくつかの州では州の宗教定めていたが、これは修正第1条には抵触しなかった)。その他の多く条項については、州に適用されるか否か明文では規定していなかったものの、憲法修正第14条批准され1868年までは、各州には適用されないという解釈一般的であった修正第14条次のように規定し適正手続や平等保護については州に対す制約が及ぶこととなったいかなる州も、アメリカ合衆国市民の特権あるいは免除制限する法を作り、あるいは強制してならないまた、いかなる州も法の適正手続なしに個人生命、自由あるいは財産奪ってならない。さらに、その管轄内にあるいかなるに対しても法の平等保護否定してならない。 もっとも、修正14条によって州に課される制約と、権利章典によって連邦課される制約との関係は、議論対象であった連邦最高裁は、当初修正14条は、権利章典とは無関係に基本的権利 (fundamental right) を保障したのである解釈した。しかし、1960年代に入ると、ウォレン・コート下の連邦最高裁において、権利章典によって保障される権利のうち基本的 (fundamental) なものが、修正14条を通じそっくりそのまま (whole and intact) の形で州に対す制約となるという選択組み込み解釈 (selective incorporation interpretation) が多数意見占めようになったその結果、権利章典のうち修正2条人民武装権)、修正3条軍隊舎営対す制限)、修正5条一部大陪審保障)および修正7条(民事陪審保障)といった条項を除く多く条項が、州との関係でも保障されることになった。ただし、修正6条のうち犯罪地 (vicinage) の陪審員による裁判保障修正8条のうち過大な保釈金罰金禁止について、連邦最高裁判例出されていないまた、選択的組み込み論の対象とならなかった権利であっても従前解釈において基本的権利として保障されていた場合独立適正手続保障 (free-standing due process) として一定の保障を受けうる。 権利章典は上記のように1789年提案され12修正条項のうち後の方の10か条であった12か条のうちの第2番目の条項議員対す報酬に関するものであり、2世紀上後1992年になってやっと批准され憲法修正第27条となった。1番目の条項今でも州議会による批准対象のままであり、10年毎の国勢調査下院議員定数調整するのである。この提案に対して最近批准行った州は、1792年ケンタッキー州であり、州に昇格して最初の月のことであった修正第1条信教言論出版集会の自由請願権 修正第2条英語版):人民武装権 修正第3条英語版):軍隊舎営対す制限 修正第4条英語版):不合理な捜索逮捕押収禁止 修正第5条en):大陪審保障二重の処罰禁止適正手続財産権の保障 修正第6条英語版):陪審迅速な公開裁判その他刑事上の人保障 修正第7条英語版):民事事件における陪審審理保障 修正第8条残虐異常な刑罰禁止など 修正第9条英語版):人民の権利に関する一般条項 修正第10条英語版):州または人民留保された権限

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権利章典(合衆国憲法修正第1条)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 18:41 UTC 版)

アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の記事における「権利章典(合衆国憲法修正第1条)」の解説

1791年権利章典(合衆国憲法修正第1条)では国教禁止され宗教の自由明記された。 Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the Government for a redress of grievances.合衆国議会は、国教創設したり、宗教の自由行使禁止する法律制定しない。言論報道の自由減じたり、市民平穏に集会しまた不公平の是正のために政府請願する権利制限する法律制定しない。 — アメリカ権利章典修正第1条(First Amendment to the United States Constitution) こうしてアメリカ合衆国は、政教分離国制とした史上初の世俗国家となった政教分離選ばれたのは、啓蒙主義思想によるだけでなく、新国家イギリスにおいて宗教的に迫害され人々による「合衆国」であり、異なった宗教的背景持った人びとによって構成されていたためであった一方国教禁止は、州同士宗教対立避けるための現実的妥協であったというマーク・ノールの指摘もあり、宗教公定制度それぞれの州に任せておくことで、州の団結連邦としての共存可能になった玉虫色解決策だったと大西直樹指摘する。州の独立性強くロードアイランドペンシルバニアニュージャージーデラウェアヴァージニア州公定教会制度持たずニューヨーク州メリーランド州ノースカロライナ州サウスカロライナ州ジョージア州監督派教会を、マサチューセッツ州コネチカット州ニューハンプシャー州会衆派教会公定教会とした。その後修正第1条精神徐々に浸透し各州における公定教会制度廃止されていき、最も頑強にピューリタン伝統保持されマサチューセッツ州においても1833年公定教会廃止された。 現代イギリスについては「政教分離原則#イギリスの公認宗教制度」を、現代アメリカについては「政教分離原則#アメリカ合衆国の政教分離」を参照

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