権利章典(修正第1条-第10条)
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「アメリカ合衆国憲法」の記事における「権利章典(修正第1条-第10条)」の解説
英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。権利章典(英語) 詳細は「権利章典 (アメリカ)」を参照 権利章典は、アメリカ合衆国憲法の最初の修正10か条である。これは、1788年に発効したアメリカ合衆国憲法に対し、各州の憲法批准会議やトーマス・ジェファーソン(フランス駐在特命全権大使であったために憲法制定会議の代議員ではなかった)のような著名な政治家から、中央政府が専制的なものになりかねないとの批判を受けて提案されたもので、連邦政府の権限を制限する内容であった。これらの修正条項は1789年に連邦議会から提案され、その時点では12の修正条項から成っていた。1791年までに規定以上の州が10か条を批准し、この10か条が憲法に追加され、権利章典と呼ばれることになった。 制定された当初は、権利章典は各州には適用されないと解釈されていた。「連邦議会は……」と規定していた修正第1条のように、連邦にのみ規定されることが明らかな規定も一部あった(したがって、建国当初のいくつかの州では州の宗教を定めていたが、これは修正第1条には抵触しなかった)。その他の多くの条項については、州に適用されるか否か明文では規定していなかったものの、憲法修正第14条が批准される1868年までは、各州には適用されないという解釈が一般的であった。修正第14条は次のように規定し、適正手続や平等保護については州に対する制約が及ぶこととなった。 いかなる州も、アメリカ合衆国の市民の特権あるいは免除権を制限する法を作り、あるいは強制してはならない。また、いかなる州も法の適正手続なしに個人の生命、自由あるいは財産を奪ってはならない。さらに、その管轄内にあるいかなる人に対しても法の平等保護を否定してはならない。 もっとも、修正14条によって州に課される制約と、権利章典によって連邦に課される制約との関係は、議論の対象であった。連邦最高裁は、当初、修正14条は、権利章典とは無関係に、基本的権利 (fundamental right) を保障したものであると解釈した。しかし、1960年代に入ると、ウォレン・コート下の連邦最高裁において、権利章典によって保障される権利のうち基本的 (fundamental) なものが、修正14条を通じ、そっくりそのまま (whole and intact) の形で州に対する制約となるという選択組み込み解釈 (selective incorporation interpretation) が多数意見を占めるようになった。 その結果、権利章典のうち修正2条(人民の武装権)、修正3条(軍隊の舎営に対する制限)、修正5条の一部(大陪審の保障)および修正7条(民事陪審の保障)といった条項を除く多くの条項が、州との関係でも保障されることになった。ただし、修正6条のうち犯罪地 (vicinage) の陪審員による裁判の保障、修正8条のうち過大な保釈金や罰金の禁止について、連邦最高裁の判例は出されていない。また、選択的組み込み論の対象とならなかった権利であっても、従前の解釈において基本的権利として保障されていた場合、独立適正手続保障 (free-standing due process) として一定の保障を受けうる。 権利章典は上記のように1789年に提案された12の修正条項のうち後の方の10か条であった。12か条のうちの第2番目の条項は議員に対する報酬に関するものであり、2世紀以上後の1992年になってやっと批准され、憲法修正第27条となった。1番目の条項は今でも州議会による批准の対象のままであり、10年毎の国勢調査で下院議員の定数を調整するものである。この提案に対して最近の批准を行った州は、1792年のケンタッキー州であり、州に昇格して最初の月のことであった。 修正第1条:信教・言論・出版・集会の自由、請願権 修正第2条(英語版):人民の武装権 修正第3条(英語版):軍隊の舎営に対する制限 修正第4条(英語版):不合理な捜索、逮捕、押収の禁止 修正第5条(en):大陪審の保障、二重の処罰の禁止、適正手続、財産権の保障 修正第6条(英語版):陪審、迅速な公開の裁判その他刑事上の人権保障 修正第7条(英語版):民事事件における陪審審理の保障 修正第8条:残虐で異常な刑罰の禁止など 修正第9条(英語版):人民の権利に関する一般条項 修正第10条(英語版):州または人民に留保された権限
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権利章典(合衆国憲法修正第1条)
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「アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の記事における「権利章典(合衆国憲法修正第1条)」の解説
1791年権利章典(合衆国憲法修正第1条)では国教が禁止され、宗教の自由が明記された。 Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the Government for a redress of grievances.合衆国議会は、国教を創設したり、宗教の自由の行使を禁止する法律を制定しない。言論や報道の自由を減じたり、市民が平穏に集会しまた不公平の是正のために政府に請願する権利を制限する法律を制定しない。 — アメリカ権利章典修正第1条(First Amendment to the United States Constitution) こうしてアメリカ合衆国は、政教分離を国制とした史上初の世俗国家となった。政教分離が選ばれたのは、啓蒙主義思想によるだけでなく、新国家がイギリスにおいて宗教的に迫害された人々による「合衆国」であり、異なった宗教的背景を持った人びとによって構成されていたためであった。一方、国教の禁止は、州同士の宗教対立を避けるための現実的妥協策であったというマーク・ノールの指摘もあり、宗教の公定制度をそれぞれの州に任せておくことで、州の団結と連邦としての共存が可能になった玉虫色の解決策だったと大西直樹は指摘する。州の独立性は強く、ロードアイランド、ペンシルバニア、ニュージャージー、デラウェア、ヴァージニア州は公定教会制度を持たず、ニューヨーク州、メリーランド州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、ジョージア州は監督派教会を、マサチューセッツ州、コネチカット州、ニューハンプシャー州は会衆派教会を公定教会とした。その後、修正第1条の精神が徐々に浸透し、各州における公定教会制度は廃止されていき、最も頑強にピューリタンの伝統が保持されたマサチューセッツ州においても1833年に公定教会は廃止された。 現代のイギリスについては「政教分離原則#イギリスの公認宗教制度」を、現代のアメリカについては「政教分離原則#アメリカ合衆国の政教分離」を参照
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