松竹蒲田撮影技師長とは? わかりやすく解説

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松竹蒲田撮影技師長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:26 UTC 版)

ヘンリー・小谷」の記事における「松竹蒲田撮影技師長」の解説

1920年松竹映画事業乗り出し松竹キネマ創立されアメリカより技術者を招くこととなる。それに伴いセシル・B・デミル監督田口桜村推薦され松竹蒲田撮影所撮影技師長として赴任する蒲田撮影所監督俳優含めた所員給料合計3000円だったといわれるが、ヘンリー月俸はその半分当時としては天文学的数字1500円だったといわれる松竹小山内薫リーダー映画事業乗り出したといっても、映画作り方本格的に知る者は誰一人おらず、何から手を出すか、ヘンリーが来るまでは誰も分かってなかったといわれるヘンリー到着した同年7月19日横浜港には、白井信太郎撮影所長、小山内薫撮影総監督田口桜村撮影部長ら、松竹首脳陣蒲田俳優たちが総出出迎え歓迎ぶりであったそれだけ映画先進国アメリカ賭けた夢が大きかったのである。まだ自動車が珍しい頃だが、一行新型自動車分乗し大パレード東海道一路蒲田撮影所まで向かった。この日、撮影所表門脇では賀古組の撮影が行われていたが、表門入った車から身軽に降りてきたヘンリーが、キャメラ助手が手にしていたレフ板リフレクター)を素早くとると、さっと脇の板塀にのぼり、両手高くかざしたレフ板を高い位置持っていき、反射光線をあてるという技術さえ、誰も知らなかったそれだけのことで、被写体である人物は、くっきり浮びあがり、見事なになったレフ板人工光線も、すでに映画製作現場で使用されてはいた。レフ板日本人が目にしたのはこの前年のことだったが、それらは十分に活用されはおらずそれまでレフ板ステージの上地上立てて太陽光線反射させ、主要対象物背景明るくするものと思われていた。この話は広く知られ今日伝説とさえなっている。小谷フラットな照明支配的だったそれまで日本の映画製作現場に、立体的効果を持つ照明法をハリウッドからもたらした。 海のものとも山のものともわからぬ所内指導、早速、まだステージの無い蒲田撮影所での松竹第1回作品川田芳子主演の『島の女』を木村錦花共同演出し光線扱い鮮やかさアメリカ仕込のカメラワーク新し時代の扉を開いたハリウッド帰りカメラマン威勢買って実質的にヘンリー演出といわれる。『松竹七十年史』には「大谷竹次郎社長が、何でもいいからアメリカ流に一本作るよう、ヘンリー小谷いいつけた。ヘンリーカメラマンだが、編集のことも演出のことも、本場仕込みだから出来ないことはない。(中略)それが世に出た松竹キネマ創立披露第一回作品となった」「大正九年十一月一日ヘンリー小谷作った島の女』が、山田耕筰指揮大交楽団演奏とともに歌舞伎座公開された」と書かれている。 翌1921年には、後の大スター栗島すみ子デビュー作、『虞美人草』の脚色演出撮影一手引き受け最新技術駆使して周りスタッフ驚かせた。特に、オープンセットでの項羽と劉邦合戦シーンには多く人数動員して迫力あるシーン撮り日本最初のスペクタクルシーンを実現した。さらに本作に於いて栗島すみ子という初めてのスター女優誕生させた。栗島自体典型的な日本女性美を備えていたこともあるが、栗島クローズアップ映像は、それまで日本映画にないシャープ陰影と艶のある画面となり、これにはヘンリー技量あずかって大きかったそれまで映画ヒロインは、舞台劇出身男性不自然な女装をするか、新劇オペラ出身女優で、いずれも既成舞台人としての型があって、自然に流出するナイーブな演技見せことはなかったが、栗島には幸いそうし舞台的な臭みクセもなく、ヘンリーによってアメリカ的表情摘出指導されたため、映画劇の求め演技の純粋性を発揮した。また女優化粧ヘンリーによって改革されといわれるヘンリーハリウッドから輸入したマックスファクター製のドーランを沢山持っていて、栗島にも直接化粧施した。顔が白いと着物背景との光の反射比が強くなり、明るい側の顔のディテール潰れてのっぺらぼうになる。このため茶褐色肌色)のドーランを塗る。化粧といえば舞台で白塗り馴れていた女優にとって、茶褐色化粧はどこか薄汚れて見え当初戸惑いがあった。映画を観て、初め表情ディテールくっきり再現しているのを確め、その効果知った以後撮影にはドーラン広まったヘンリードーラン化粧ライティングによって、明眸美女栗島すみ子スクリーンアイドルになった。『松竹七十年史』には「この映画収穫は、日本映画スターシステム確立させた第一人者として、その後松竹映画大衆的人気と、興行的引力与えるに役立った」と称えられ松竹商品映画として一つ金字塔となった作品であった栗島出現日本の映画劇に非常に明るさ美しさ若さもたらして日本映画発展有力なとなった本作小山内薫指揮した路上の霊魂』の二本で、蒲田撮影所開設10ヶ月にして、やっと映画らしいものに到達した続いて監督した電工と其妻』は姦通扱い、『トランク』はエロティック場面があり、共に検閲公開禁止となった

※この「松竹蒲田撮影技師長」の解説は、「ヘンリー・小谷」の解説の一部です。
「松竹蒲田撮影技師長」を含む「ヘンリー・小谷」の記事については、「ヘンリー・小谷」の概要を参照ください。

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