日米・日韓関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:54 UTC 版)
1982年11月当時、日米関係は最悪と呼べる状態だった。時代背景は、ソ連が大陸間弾道ミサイルSS20をヨーロッパに配備して、それに対抗する形でアメリカはパーシングIIを配備しようと計画しており、東西冷戦構造が一段と厳しさを増し、一触即発の事態にもなりかねない核の脅威の中で、西側の首脳達は厳しい外交の舵取りを行っていた。そんな中、アメリカのロナルド・レーガン大統領は、アジアが全く無防備であることを念頭において、日米共同宣言の中で「日米で価値観を一体にして防衛にあたる」とした。 1981年5月、当時の首相である鈴木善幸は、初めて『シーレーン千海里防衛術』を公表するが、渡米の帰りの機中で「日米安保条約には軍事的協力は含まれない」と発言し、帰国後には「日米同盟に軍事的側面はない」と語って、共同声明に対する不満を表明してしまい、アメリカの世論を怒らせた。 そして参議院本会議では、鈴木首相・宮澤喜一内閣官房長官と伊東正義外務大臣が日米同盟の解釈を巡って対立し、伊東外相が辞任するという前代未聞の事態にまで発展してしまう。これに武器技術供与の問題が重なることとなる。大村襄治防衛庁長官がワシントンでワインバーガー国防長官と会談した際に、アメリカ側から武器技術供与は同盟国に対しては「武器輸出三原則」の枠外にしてほしいと頼まれていたのに、鈴木首相はこれに対応しなかった。 また、伊東の後任である園田直外務大臣の発言に、韓国政府が抗議する事態が発生した。 事の経緯は、韓国が、防衛および安全保障に絡み、日本政府に5年間で60億ドルもの政府借款を要請。これに対して園田は借款額を40億ドル以下に削減、その上「資金をもらう方が出す方に向かって、ビタ一文安くすることはまかりならんと言うのは筋違いだ」と毅然と発言。これに韓国側が反発したというものである。 中曽根は総理になる前から、最初にこれらの問題を解決してしまおうと密かに計画しており、首相就任直後に全斗煥と電話会談を行っている。 1983年1月の訪米に先立ち、中曽根は電話会談から1ヶ月あまりで総理大臣として戦後初となる韓国公式訪問を実現。全斗煥と個人的な信頼関係を構築した。アメリカが執心していた防衛費の増加と対米武器技術供与の問題は、中曽根の判断で反対する大蔵省主計局と内閣法制局を押し切って問題を決着させた。これらの成果を手土産に、中曽根は首相になって初めての訪米の途についたのである。 訪米中に中曽根が語ったとされる「日米は運命共同体」発言、「日本列島不沈空母化」(後述)および「三海峡(千島・津軽・対馬)封鎖発言」により、アメリカとの信頼関係を取り戻し、ロナルド・レーガン大統領との間に愛称で呼び合うほどの“個人的に親密な”関係(「ロン・ヤス」関係)を築くことにも成功して日米安全保障体制を強化した。一連の防衛力強化政策の仕上げとなったのは、中曽根政権が最後に編成した1987年(昭和62年)度予算での「防衛費1%枠」撤廃だった。ブレーンの一人だった高坂正堯の意見を採用し、防衛費の予算計上額を日本の国民総生産 (GNP) の1%以内にとどめる三木内閣以来の方針を放棄し、長期計画による防衛費の総額明示方式に切り換えて急速な軍備拡張への新たな歯止めとした。この決定により、日本政府はより積極的な防衛政策の立案が可能となり、米軍との協力関係はさらに緊密となった。これは米国への隷従の強化と取る向きもあり、また、“ヤスはロンの使い走り”(Messenger boy) と批判されることもある。 また、日本からの輸出の増加により日米間の通商、経済摩擦が深刻化したことから、アメリカの貿易赤字が増加したことに対処するために、日本国民に外国製品の購入(特にアメリカ製品を最低100ドル分、当時の為替レートで1万3千円相当)を呼びかけるなどの点でも、中曽根はアメリカからの要求へ積極的に応えた。この時の広告は「輸入品を買って、文化的な生活を送ろう」だった。 ただし、中曽根自身が引き起こした日米間の懸案として、1986年9月に自民党の全国研修会の講演で「アメリカの知的水準は非常に低い」と発言したことから「知的水準発言問題」が起きた。黒人(アフリカ系アメリカ人)やヒスパニック系の議員連盟によってアメリカ下院に提出された中曽根非難決議案は本人の謝罪により採択が見合わされたが、その釈明に際して「日本は単一民族国家」と発言したことは北海道ウタリ協会からの新たな抗議を呼び、北海道旧土人保護法などが存続していたアイヌ民族に関する内政問題へと転化していった。
※この「日米・日韓関係」の解説は、「中曽根康弘」の解説の一部です。
「日米・日韓関係」を含む「中曽根康弘」の記事については、「中曽根康弘」の概要を参照ください。
- 日米・日韓関係のページへのリンク