戦国・開幕期の史跡
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「戦国・開幕期の史跡」の解説
戦国時代の城は数多いが、国指定史跡の城跡は、日野江城の出城で島原の乱の舞台となった原城跡、宗氏の居城だった金石城跡、文禄・慶長の役に備えて緊急築城した対馬の清水山城跡と壱岐の勝本城跡、以上の4件である。出島集約以前の貿易関係史跡には、出島に移転するまで日蘭貿易を担ってきた平戸和蘭館跡が国指定史跡である。 名称位置指定日解説六角井 五島市江川町 1954年12月21日 明の技法で掘削され、井戸枠を六角形に板石で囲み、一斉に桶や棹を掛けられる井戸。天文9年(1540年)に倭寇の王直が福江に来航し、交易を求めた。五島盛定は交易を許可し、江川城の対岸に唐人町を開かせた。この時に掘削された井戸と伝えられている。 平戸の六角井戸 平戸市鏡川町 1975年1月7日 平戸の六角井戸も王直の来航にちなむといわれる。天文11年(1542年)に王直は平戸に達し、松浦隆信から屋敷を与えられた。以後、唐人が平戸に定住する。明のデザインを真似て邦人が掘削した可能性があり、唐人の手によるとは断言できない。 富江町・山崎の石塁 五島市富江町岳郷 1970年1月16日 福江島南岸に位置する出自不明の石塁。伝承では、江戸時代に大工勘次が住み着き、石を積んで構築した「勘次が城」とされる。明銭の出土例があることから、倭寇または松浦党田尾氏の出城の可能性もある。その廃城が勘次伝説を生んだともいわれる。 南蛮船来航の地 西海市西海町横瀬郷 1941年1月17日 佐世保湾南岸、西海市の横瀬浦一帯を指す。永禄5年(1562年)、大村純忠が南蛮貿易と布教の拠点として整備した。翌年、後藤貴明の謀叛で破壊されたが、トルレスやフロイスら初期宣教師が駐在し、純忠の洗礼をはじめ大村の宣教を進めた。 南蛮船来航の地 南島原市口之津町丙 1941年1月17日 横瀬浦を失ったイエズス会は、代替港として口之津を見出した。翌永禄6年(1563年)、有馬義貞がトルレスを招き、布教を認可する。義貞の失脚や長崎港の開港など不利な中、20年間で7隻の南蛮船を迎えたほか、バリニャーノを迎えた。 多以良の小佐々氏墓所 西海市大瀬戸町多以良郷 1990年11月16日 小佐々氏は15世紀後半に彼杵外浦に入った水軍の棟梁で、大村氏の有力な武将である。永禄12年(1569年)の早岐瀬戸の合戦で戦死した弾正純俊が知られる。歴代墓所の墓や平塚は切石で構築される。大村藩が記録した「郷村記」の記述とほぼ一致する。 文禄の役松浦家供養塔 松浦市今福町東免 1971年9月14日 文禄の役に際し、松浦党は多数の手勢を派遣した。今福松浦家の松浦定は最前線に出向き、平壌の合戦で郎党ともども戦死した。郷里今福には自然石板碑の供養塔を中央に、右に定の五輪塔、左に子孫の松浦忠之が建立した長明塔がある。 長崎甚左衛門の墓 時津町浜田郷 1966年4月18日 大村武士団の長崎領主・長崎甚左衛門純景は、所領を天領として没収された。大村喜前は代替地として時津村700石を提示するが、納得いかない純景が時津入りするのは晩年になる。元和7年(1621年)没。夫婦の墓碑は元禄15年(1702年)に子孫が建立した。 鄭成功居宅跡 平戸市川内町 1941年1月17日 鄭成功は寛永元年(1624年)、倭寇の鄭芝龍と松浦藩士の娘田川松の子として平戸川内浦で生まれた。屋敷は現存せず、ナギの大木が残っている。7歳で福建に渡り、大陸・台湾で活躍するが、当時の日本人にも知られた平戸の有名人である。 コックスの甘藷畑跡 平戸市川内町 1954年12月21日 平戸イギリス商館長リチャード・コックスは、1615年6月に畑を借りて、本土初のサツマイモ栽培に着手した。コックスの日記には、種芋を入手したこと、彼自身本邦初の試みと自覚していたこと、畑の簡単な契約内容が記録されている。畑は千里浜近くにある。 トードス・オス・サントス跡(セミナリヨ及びコレジヨを含む) 長崎市夫婦川町 春徳寺 1966年4月18日 「諸聖人」を意味するポルトガル語で、長崎の教会第一号。永禄12年(1569年)ヴィレラ神父が開く。慶長の禁教令を受けて元和5年(1619年)に破却されるまで、弾圧で追放されたコレジオ・セミナリオを併設し、末期神学教育を担った。 中浦ジュリアン出生の地 西海市西海町中浦南郷 1968年4月23日 天正遣欧少年使節の一員中浦ジュリアンは、彼杵外浦の豪族・中浦甚五郎純吉(小佐々弾正純俊の弟)の子である。日本二十六聖人の一員として殉教するまで国内で宣教を続けた。生地一帯は平成14年(2002年)、中浦ジュリアン記念公園が開かれた。 日本二十六聖人殉教地 長崎市西坂町 1956年4月6日 旧暦慶長元年12月19日(1597年2月5日)、西坂で26人のキリシタンが磔刑に処せられた。1862年に教皇ピウス9世は26人を列聖した。西坂公園には列聖100周年を記念し、昭和35年(1961年)より舟越保武作の記念碑と今井兼次作の聖堂が置かれた。
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