戦国・開幕期の史跡とは? わかりやすく解説

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戦国・開幕期の史跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

長崎県指定文化財一覧」の記事における「戦国・開幕期の史跡」の解説

戦国時代の城数多いが、国指定史跡城跡は、日野江城出城島原の乱舞台となった原城跡宗氏居城だった金石城跡文禄・慶長の役備えて緊急築城した対馬清水山城跡壱岐勝本城跡、以上の4件である。出島集約以前貿易関係史跡には、出島移転するまで日蘭貿易担ってきた平戸和蘭館跡が国指定史跡である。 名称位置指定日解六角五島市江川町 1954年12月21日 明の技法掘削され井戸六角形板石囲み一斉にや棹を掛けられる井戸天文9年1540年)に倭寇王直福江来航し交易求めた五島盛定は交易許可し江川城の対岸唐人町を開かせた。この時に掘削され井戸伝えられている。 平戸六角井戸 平戸市鏡川町 1975年1月7日 平戸六角井戸王直来航にちなむといわれる天文11年1542年)に王直平戸達し松浦隆信から屋敷与えられた。以後唐人平戸定住する。明のデザイン真似て邦人掘削した可能性があり、唐人の手によるとは断言できない富江町山崎石塁 五島市富江町岳1970年1月16日 福江島南岸位置する出自不明石塁伝承では、江戸時代大工勘次住み着き、石を積んで構築した勘次が城」とされる明銭出土例があることから、倭寇または松浦党田尾氏の出城可能性もある。その廃城勘次伝説生んだともいわれる南蛮船来航の地 西海市西海町横瀬郷 1941年1月17日 佐世保湾南岸西海市横瀬浦一帯を指す。永禄5年1562年)、大村純忠南蛮貿易布教拠点として整備した翌年後藤貴明謀叛破壊されたが、トルレスフロイス初期宣教師駐在し純忠洗礼をはじめ大村宣教進めた南蛮船来航の地 南島原市口之津町丙 1941年1月17日 横瀬浦失ったイエズス会は、代替港として口之津見出した。翌永禄6年1563年)、有馬義貞トルレス招き布教認可する。義貞の失脚長崎港開港など不利な中、20年間で7隻の南蛮船迎えたほか、バリニャーノ迎えた。 多以良の小佐々氏墓所 西海市大瀬戸町多以良郷 1990年11月16日 小佐々氏15世紀後半彼杵外浦入った水軍棟梁で、大村氏有力な武将である。永禄12年1569年)の早岐瀬戸合戦戦死した弾正純俊が知られる歴代墓所の墓や平塚切石構築される大村藩記録した郷村記」の記述とほぼ一致する文禄の役松浦家供養塔 松浦市今福町東免 1971年9月14日 文禄の役際し松浦党多数の手勢を派遣した今福松浦家松浦定は最前線出向き平壌合戦郎党ともども戦死した郷里今福には自然石板碑供養塔中央に、右に定の五輪塔、左に子孫松浦忠之が建立した長明塔がある。 長崎左衛門の墓 時津町浜田郷 1966年4月18日 大村武士団長崎領主長崎左衛門純景は、所領天領として没収された。大村喜前代替地として時津村700石を提示するが、納得いかない純景が時津入りするのは晩年になる。元和7年1621年)没。夫婦墓碑元禄15年1702年)に子孫建立した鄭成功居宅平戸市川内町 1941年1月17日 鄭成功寛永元年1624年)、倭寇鄭芝龍松浦藩士の娘田川松の子として平戸川内浦生まれた屋敷現存せず、ナギ大木残っている。7歳福建渡り大陸台湾活躍するが、当時日本人にも知られ平戸有名人である。 コックス甘藷畑平戸市川内町 1954年12月21日 平戸イギリス商館長リチャード・コックスは、1615年6月に畑を借りて本土初のサツマイモ栽培着手したコックス日記には、種芋入手したこと、彼自身本邦初試み自覚していたこと、畑の簡単な契約内容記録されている。畑は千里浜近くにある。 トードス・オス・サントス跡(セミナリヨ及びコレジヨを含む) 長崎市夫婦川町 春徳寺 1966年4月18日 「諸聖人」を意味するポルトガル語で、長崎教会第一号。永禄12年1569年ヴィレラ神父が開く。慶長の禁教令受けて元和5年1619年)に破却されるまで、弾圧追放されたコレジオ・セミナリオを併設し、末期神学教育担った中浦ジュリアン出生の地 西海市西海町中浦南郷 1968年4月23日 天正遣欧少年使節一員中浦ジュリアンは、彼杵外浦豪族中浦甚五郎純吉(小佐々弾正純俊の弟)の子である。日本二十六聖人一員として殉教するまで国内宣教続けた生地一帯平成14年2002年)、中浦ジュリアン記念公園開かれた日本二十六聖人殉教地 長崎市西坂町 1956年4月6日 旧暦慶長元年12月19日1597年2月5日)、西坂26人のキリシタン磔刑処せられた。1862年教皇ピウス9世26人を列聖した。西坂公園には列聖100周年記念し昭和35年1961年)より舟越保武作の記念碑今井兼次作の聖堂置かれた。

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