戦争レクイエムとは? わかりやすく解説

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戦争レクイエム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 22:06 UTC 版)

戦争レクイエム』(せんそうレクイエム、英語: War Requiem)作品66は、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテン1962年に発表した管弦楽付き合唱作品である[1]。テクストにはラテン語によるカトリックの典礼文と、第一次世界大戦に従軍し25歳の若さで戦死したイギリスの詩人ウィルフレッド・オーウェン1893年1918年)による英語のが使われており[2]第二次世界大戦における全ての国の犠牲者を追悼する[3]とともに、戦争の不合理さを告発し世界の平和を願う作品となっている[4][5]


注釈

  1. ^ 各楽章について、「第○章」という表現は菅野(1981)及び小林(2012)に従った。向井(2013)は「第○部」という表現を使用している。
  2. ^ 「リベラ・メ」と「イン・パラディスム」は、ガブリエル・フォーレの『レクイエム』にも使われている[8]
  3. ^ 第一次世界大戦に際して書かれた「戦争詩」の多くは、依然として武勇や愛国心、兵士の死をロマンチックに歌っていた[10]
  4. ^ オーウェンは第一次世界大戦の休戦協定が結ばれる1週間前の1918年11月4日に戦死した[11]
  5. ^ オーウェンの詩集『ウィルフレッド・オウエン詩篇』は、オーウェンの死後、1920年ジークフリード・サスーン英語版によって編まれた[13]。その序文はオーウェンが生前に、将来出版を予定していた詩集『不具になった者たち、およびその他の詩篇』の序文として構想していたものである[14]
  6. ^ 例外として、第5章「アニュス・デイ」の最後にテノール独唱がラテン語の典礼文を歌う箇所がある(後述)。
  7. ^ 実際には1人の指揮者でも演奏される。
  8. ^ 『戦争レクイエム』の構造の複雑さについては、マイケル・ティペットの影響が指摘されている[24]
  9. ^ ブリテンがこの時期にアメリカ大陸に渡ったことについては、オーデンがアメリカに移住したことのほか、アメリカに自由な創造の場を求めたこと[31]、1938年にアメリカの作曲家アーロン・コープランドがブリテンの自宅を訪問したこと[32]、近づきつつあった戦争を避けようとしたことなど[33]、様々な理由やきっかけがある。
  10. ^ 1940年4月27日付け『The NewYork Sun』[35]
  11. ^ 第1楽章「ラクリモサ(涙の日)」、第2楽章「ディエス・イレ(怒りの日)」、第3楽章「レクイエム・エテルナム(永遠の安息)」。なお、管弦楽曲であり声楽は含まれない。
  12. ^ ブリテンの伝記を著したデイヴィット・マシューズは、「第二次世界大戦に直接言及した作品は、たった二曲である。」としている[41]
  13. ^ 1945年には原爆投下に抗議するためのオラトリオ『メア・クルパ(わが過ちにより)』、1948年には暗殺されたマハトマ・ガンディーを悼む『ガンディー・レクイエム』が構想されたが、いずれも完成には至らなかった[42]
  14. ^ コヴェントリーに対する空襲は11時間にもわたり執拗に行われ[45]、その後「空爆で破壊する」という意味を持つ coventrate という新しい動詞を生み出すこととなった。
  15. ^ ブリテンは、スペンスが新旧の建物を融合させたことを「戦争からの和解」を象徴するものとしてとらえた[48]
  16. ^ 依頼状は、式典芸術委員会のメンバーで、ブリテンと親交があったジョン・ロウエを通じてブリテンに送られた[27]
  17. ^ 1957年1月にブリテンが友人にミサ曲の作曲について語ったという記録がある[50]
  18. ^ 古今のイギリスの詩人の作品を扱った1949年の『春の交響曲』作品44は、そうした「実験」の成功例である[53]
  19. ^ 1960年にロンドンで行われた演奏会で、ショスタコーヴィチチェロ協奏曲第1番を弾くロストロポーヴィチの演奏にブリテンは興奮し、翌日に面会してソナタを作曲することを申し出た[55]
  20. ^ こうしたことに対する懸念の声は、初演後には沈静化した[57]
  21. ^ ヴィシネフスカヤの自伝には、ブリテンがソ連文化省外国局長ウラディミール・ステパーノフあてにヴィシネフスカヤの出演許可を申し出た1961年12月14日付けの手紙が掲載されている[61]。ヴィシネフスカヤによれば、この手紙は文化省のゴミ箱に捨てられていたものを、文化省職員を通じてもらったものである[60]
  22. ^ ソ連がヴィシネフスカヤの出演を認めなかった理由は、ソ連の歌手が旧敵国のドイツ人と共演することに反対だったからとされているが[18]、ヴィシネフスカヤの自伝によれば、コヴェントリーの再建にドイツが協力したこととされている[60]
  23. ^ 初演の約半年後にあたる1962年10月にはキューバ危機が勃発している。
  24. ^ ハーパーは後に(1991年)、リチャード・ヒコックス指揮による『戦争レクイエム』のレコーディングにソリストとして参加している[63]
  25. ^ フィッシャー=ディースカウには、第二次世界大戦中にアメリカ軍の捕虜になった経験があった[68]
  26. ^ この前年(1968年)には、ブリテンが歌劇『放蕩息子英語版』作品81をショスコターヴィチに献呈している[75]
  27. ^ コリン・デイヴィス指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による[78]
  28. ^ クルト・ザンデルリンク指揮による[78]
  29. ^ ブリテンが指揮する予定であったが、病気のために来日できず、ウィルコックスに変更となった[79]
  30. ^ 合唱は二期会藤原歌劇団日本合唱団東京混声合唱団東京少年少女合唱隊。独唱者はソプラノ伊藤京子、テノール中村健、バリトン立川澄人であった[77][79]
  31. ^ 初演の指揮を務めたメレディス・デイヴィスは無名に近く、カルショーはレコーディングの指揮はブリテン1人で行うことを望んでいた[86]
  32. ^ ジャケットデザインは、漆黒の背景に白地で作曲者名と作品名が書かれ、会社のロゴだけが入ったシンプルなものが採用された。会社側は瀕死の兵士などを描いたデザイン案を準備していたが[90]、カルショーはそれが気に入らず、ブージー・アンド・ホークス社によるフルスコア表紙のデザインをそのまま流用した[91]
  33. ^ 編集後、リハーサルを録音したテープのうち未使用部分は全て破棄された[90]
  34. ^ ブリテンに贈られた特製レコードには「BB50」(ベンジャミン・ブリテンの頭文字と「50歳」)というカタログ番号が付けられていた[95]
  35. ^ フルスコアの楽器編表は「3 Oboes」となっているが[6]、「2 Oboes」の誤りである。
  36. ^ フルスコアの編成表ではティンパニを除く打楽器は「4 player」と書かれているが、第6章「リベラ・メ」の最強奏部では、トライアングル(ロール)、シンバル(ロール)、サイドドラム(ロール)、テナードラム(ロール)、バスドラム(ロール)、銅鑼の、6つの楽器が同時に出てくる小節がある[99]
  37. ^ ファンファーレを軍国主義的なイメージと重ねる技法は1939年に作曲した『英雄のバラッド』作品14でも使われており、「ディエス・イレ」ではこれを更に洗練させている[34]
  38. ^ ここでのテンポの切り替えは、前の部分の八分音符5つが続く部分の五連符5つと同じになるように指示されている[106]
  39. ^ 初演ではこの「ラッパの動機」で金管楽器が「落ちて」しまった(前述)。
  40. ^ ブリテンは1939年コリン・マクフィーを通じてガムラン音楽を知り[118]、その影響は『ポール・バニヤン英語版』や『ピーター・グライムズ』、『パゴダの王子英語版』、『ヴェニスに死す英語版』など、後の数々の作品に及んだ[119]
  41. ^ ヴィブラフォン、グロッケンシュピール、アンティーク・シンバル(小さなシンバルで代用することが可能)、鐘(金属のバチで叩く)およびピアノである[120]
  42. ^ 正確な墓碑銘は、"SHALL LIFE RENEW THESE BODIES? OF A TRUTH ALL DEATH WILL HE ANNUL" であり、これはオーウェンの母親スーザンが選んだものである[124]
  43. ^ And by his smile, I knew that sullen hall, By his dead smile, I knew we stood in Hell.[132]
  44. ^ ブリテンにとって「眠り」は恐怖や不安から逃れられる唯一の場であり、そのことが作品にも表れている[135]
  45. ^ スコアでは、最も演奏者が多いページで50段にも及ぶ[137]。ただし、コントラファゴット奏者、ピアニストと何人かの打楽器奏者は休んでいる[137]

出典

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  8. ^ a b 井上、前掲書252頁
  9. ^ 井上、前掲書294頁
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  11. ^ 佐藤芳子(訳・注)『ウィルフレッド・オウエン研究(第一巻)ウィルフレッド・オウエン戦争詩篇』、近代文藝社、1993年7月30日、ISBN 4-7733-1775-2、133頁
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  15. ^ フルスコア、扉ページより引用
  16. ^ 佐藤、前掲書11頁より引用
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  36. ^ a b c 佐々木、前掲書213頁
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  39. ^ a b 小林(2012年)、179-180頁
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  130. ^ a b c 小林(2012年)、184頁
  131. ^ a b c 佐藤、前掲書13頁
  132. ^ 佐藤、前掲書135頁
  133. ^ 佐々木、前掲書227頁
  134. ^ フルスコア、218頁
  135. ^ マシューズ、前掲書4-5頁
  136. ^ a b 菅野、前掲書389頁
  137. ^ a b フルスコア、236頁






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