律令制下における陰陽師の待遇の変遷とは? わかりやすく解説

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律令制下における陰陽師の待遇の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 00:36 UTC 版)

陰陽師」の記事における「律令制下における陰陽師の待遇の変遷」の解説

律令制においては陰陽寮修習生に登用された者以外の一切部外者神官僧侶はもちろん官人から民間人に至るまでの全て)が、天文陰陽・暦時間計測学び災異瑞祥説くことを厳しく禁止しており、天文観測時刻測定にかかわる装置または陰陽諸道に関する文献についても、陰陽寮外部への持ち出し一切禁じ私人がこれらを単に所有することさえ禁じていた。このため律令制比較厳しく運営されていた平安時代初期9世紀初頭)まで、陰陽道陰陽寮独占する国家機密として管理されていたが、その後時代趨勢合わせるために律令細部改め施行令である「格」・「式」がしばしば発布されるようになり、各省ともに官職定員肥大化する傾向見せると、陰陽寮においても平安時代中期までに、かなりの定員増がはかられるようになり、その制度弛緩した一般的に各省方技技官)がおしなべて位階低めに設定されていた中で、陰陽寮方技官位は低目とはいっても各省管轄下の方技比較すれば高めに設定されていた。ただ、陰陽寮中務省小寮であったため、当然なら行政官である四等官官位本省のそれに比べて低めとなっており、後の平安中期で言う、昇殿して天皇奏上できる仙籍呼ばれるいわゆる殿上人従五位下格の陰陽頭のみであり、その他はすべて、後に昇殿許されない地下官人であったらしい。 律令制当初は、四等官方技である各博士陰陽師厳密に区別して任命されており、後者にはもっぱら先進各国から渡来した学僧任命されていた。これは、僧籍属す学僧俗世間政権ある朝廷に出仕させて自由に使役することは僧籍者に対す待遇不可能であり、各博士または陰陽師任命され学僧行政官就任させる際には勅令によって還俗僧籍脱して俗人に戻ること)させる必要があり、そのような勅令乱発することもはばかられたためで、その代わりとして修習生である天文生・陰陽生・暦生に俗人出家していない人・在家)の人材登用して陰陽諸学習得させ、朝廷において自由な出仕使役可能な人材育成しようとしていた。その後次第にこの運用あいまいになり、学僧還俗しないまま方技任命され四等官上位職(特に頭・助)に転任または兼任命じられて、行政官としても実働することも見られるようになったが、基本的に還俗しない学僧方技位階上げ場合には、律令制度基本である官位相当制によって方技職制のままでは位階上げることができないため、「職(ごんのしょく)」(員外配置)によって四等官上位職兼務させることで位階上げ方法がとられた。また、修習生の育成が進むと、俗人官僚方技増え更に自由な人事交流なされるようになったいずれにしても陰陽寮における技官行政官への転任兼任は非常に多く長官である陰陽頭技官出身者技官による兼務数多く見られ奈良時代から平安時代初期通じて技術系官庁としての色彩強めた。 しかし承和5年838年)を最後に遣唐使廃れたことにより、朝鮮半島の統一新羅とはかつての百済ほどの親密性はなかったため、わずか30名の修習生にしぼって閉鎖的方技育成続けた結果平安時代初期には、次第陰陽寮技官人材乏しくなったと見られたことや、公家勢力争い激化にともなう役職不足もあいまって陰陽寮唯一の仙籍殿上人)相当職制である陰陽頭は、各博士などの技官からの登用ではなく、単に公家一役職として利用されることが多くなり、それも長官職として従五位下という仙籍格としては末席地位であったことから、比較境遇の悪い傍流公家対す処遇化す傾向見せた。この時代から特に員外配置多く見られ常設化するようになったが、これはもはや僧籍者への配慮一環としてではなく単なる公家への役職充足主目的とするものであった平安時代中頃10世紀)に入って後述賀茂家と安倍家の2家による独占世襲見られるうになると、陰陽頭以下、陰陽寮の上位職はこの両家出身者がほぼ独占するようになったまた、両家の行う陰陽諸道は本来の官制職掌越えて宗教化し、これが摂政関白始めとする朝廷中枢重用されたため、両家その実態がもっぱら陰陽諸道執り行う者であるにもかかわらず律令においては従五位下最高位であると定め陰陽寮職掌越えて、他のより上位官職任命され従四位下格にまで昇進するようになった。特に安倍家平安時代後期11世紀)には従四位上格にまで取り立てられるようになり、室町時代には、将軍足利義満庇護足がかりに常に公卿三位以上)に任ぜられる堂上家半家)の家格にまでなり土御門家名乗るようになったほか、その土御門家は、室町時代後期から戦国時代には一時衰退したものの、近世において江戸幕府から全国陰陽師差配与えられるなど、明治時代初頭まで隆盛誇った

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