律令制の軍団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:10 UTC 版)
武士論研究には「在地領主論」と「職能論」という2つの流れがあることは述べたが、職能、特にその技能(弓馬)に着目すれば、律令制下の軍制から中世武士までの連続性がかなり明らかになってきている。 一般に律令制での軍団は歩兵中心とのイメージが強い。確かに国民皆兵性のような1戸(行政上の単位、平均30人ぐらい)から1名、年間60日の軍事訓練を受けるという段階では歩兵の比率が高そうに思えるが、騎兵部隊も確認され、軍事力の中核はそちらが担っていたようである。 792年(延暦11年)の軍団解消以降、軍事を担った「健児」も基本的には弓射騎兵である。軍団解消は、軍団歩兵の解消であって、上兵である騎兵は、人数としては縮小されながらも諸国においては「健児制」として継承されたとも言える。騎馬武者は中世武士の専売特許ではなくて、弓射騎兵が武力の中心という伝統は律令軍団から中世武士までの一貫したスタイルである。
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