巨文島事件と日本とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 巨文島事件と日本の意味・解説 

巨文島事件と日本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 16:00 UTC 版)

巨文島事件」の記事における「巨文島事件と日本」の解説

世界的にみれば、この事件は「グレート・ゲーム」と呼ばれるアフガニスタントルコなどで繰り広げられ一連の英露対立一環であった。この占領計画以前1875年7月イギリス内閣によって検討されいたものだが、当時外務大臣ダービー伯エドワード・スタンリーによって、「悪しき前例になる」として却下され計画案であった明治時代代表する知識人ひとりであった福沢諭吉は、金玉均らの朝鮮開化派物心ともに援助したことで知られ1884年12月甲申事変における開化派クーデター失敗には強い憤り挫折感いだいて1885年3月16日新聞時事新報』に、第二次世界大戦後、「脱亜論」として知られることとなる無署名社説掲げている。福沢巨文島事件について、不凍港求めて南下政策を採るロシア動き朝鮮併合につながるものとみており、むしろこの島がイギリスによって保護されるのを好しとしたのであった1885年6月27日の『時事新報』には、福沢は、以下のような一文掲げている。 英露の政略は全く反対にして、露国はなるべく取らんと欲し英国はなるべく存せんと欲す英国はすでに東洋全権掌握するものなれば、さらに余分国土侵略せんよりは、既得威権保持する国是とするが如ししかるに露国太平洋不凍港求め宿敵威権失墜せしむるなどの目的より、朝鮮押領せんと欲するものなれば、初めよ併呑せんとする在り英国已むを得ざるに非ざれば取らず政略とは同日の談に非ず。 — 『時事新報1885年明治18年6月27日 福沢諭吉書生であった井上角五郎は、左議政金弘集、外衙門督弁金允植からの信頼厚かったため、甲申事変後も朝鮮の外衙門顧問として漢城滞留していた。井上は、朝鮮政府対し列国の駐朝鮮公使領事意見参考すべきである提議したが、李鴻章配下袁世凱から清国一任すべき問題であると一蹴され、朝鮮国王高宗外交顧問であったドイツ人メレンドルフもまた井上難詰した。 1885年8月13日福沢は『時事新報』に「朝鮮人民のためにその国の滅亡賀す」との論説掲げており、そのなかで巨文島事件にも言及している。 人間の身に最も大切なるものは栄誉生命私有と此三つのものにして、爰に一国立てて政府設けるは此三者保護するが為なり。人の物を盜む者あれば国法を以て之を罰し借りて返さず欺て取らんとする者あれば法に拠って裁判す、私有保護なり。人を殺し又傷る者あれば之を刑に処す生命保護なり。又栄誉には内外二樣の別ありて、内国人民相互に貴賤貧富の別はあれども其国民たる権利同等なるが故に人為爵位身分など云ふ虚名を張て漫に人を軽侮するを許さず若しも犯す者あれば法に由て罰せらるる (中略今朝鮮の有様を見るに王室無法貴族跋扈税法さへ紊乱に陥りて民に私有なく、啻に政府法律不完全にして無辜を殺すのみならず貴族士族の輩が私欲私怨を以て私に人を勾留し又は傷け又は殺すも人民は之を訴る由なし。又その栄誉一点に至ては上下の間殆ど人種殊にするが如くにして、苟も士族以上直接政府に縁ある者は無限の権威を恣にして下民上流奴隸たるにすぎず。人民は既に斯くまでに内に軽蔑せられて尚其外に対して独立国民たるの栄誉如何を尋れば復た云ふに忍びざるものあり。政府王室のため又人民のために外国交際を司どりながら世界の事情解せず文明風潮知らず如何なる外患に当たり如何なる国辱を被るも恬として感覚なくものの如くして、曾て憂苦の色なく、唯其忙はしくする所は朝臣等が権力栄華政府に争ふに在るのみ (中略支那属邦視せらるるも汚辱感ぜず英人土地を奪はるるも憂患知らず啻に此辺無感覚なのみならず或は国を売りても身に利する所あれば憚らざるものの如し。即ち彼の事大党の輩が只管支那に事へんとし、又 韓圭穆・祖淵・閔泳穆の流が私に露政府通じて為すすべあらんと企てたるが如き、身あるを知て国あるを知らざるものなり故に朝鮮人独立一国民として外国対するの栄誉は既に地を払う無に帰したものなり人民夢中の際に国は既に売られたるものなり而して売国者何処在ると尋れば政府自から此事を為せり、左れば朝鮮人民は内に居て私有護る得ず生命安くするを得ず、又栄誉真っ当するを得ず、即ち国民対す政府功徳は一も被らずして却て政府害せられ、尚その上に外国に向かつて独立一国民たる栄誉をも政府に於て保護する得ず、実に以て朝鮮国民として生々する甲斐もなきなれば、露なり英なり其来て国土押領するがままに任せて露英の人民たるこそ其幸福は大なる可し。 他国政府に亡ぼさるるときは亡国の民にして甚だ楽しまずと雖ども、前途に望なき苦界沈沒して終身内外恥辱中に死せんよりも、寧ろ強大文明国保護被り、せめて生命私有とのみにても安全にするは不幸中の幸ならん。手近く其一證を示さんに、過般来英人巨文島占領して全島支配し工事あれば島民使役し犯罪人あれば之を罰する等、全く英国の法を施行する有様見れば巨文島は一区の小亡国にして島民独立国民たるの栄誉は既に尽き果てたれども(是れまでとても独立の実なければ栄誉もなし)、唯この一事のみを度外に置て他の百般利害如何察すれば英人工事役すれば必ず賃銭を払ひ、其賃銭貯蓄すれば更に掠奪せらるるの心配もなし。人を殺し人を傷るに非ざれば死刑に行はれ又幽囚せらるることもなし、先づ以て安心なりと云ふ可し。固より英人とても温良君子のみに非ず時として残刻なる処置もある可し、或は疳癪に乗じて人を笞つ等の事もある可しと雖ども、之を朝鮮官吏貴族等が下民羊視して其肉体精神窘めて又隨て其膏血を絞る者に比すれば同日の論に非ず。既に今日に於て青陽県管内巨文島人民七百名は仕合せものなりとて他に羨まるる程の次第なりと (中略故に我輩朝鮮滅亡、其期遠からざるを察して、一応は政府のために之を弔し、顧みて国民為には之を賀せんと欲する者なり。 — 『時事新報1885年明治18年8月13日朝鮮人民のために其国の滅亡賀す 甲申事変後、対外的手詰まり状態になっていた日本政府はこの論説刺激的な題名と内容驚き慌て、『時事新報』を「治安妨害」の理由8月15日から1週間発行停止処分とした。 なお、この島々日本領有することとなった1910年韓国併合以降イギリス人による巨文島訪問頻繁ではなくなった。現在、島には10人のイギリス人水兵海兵埋葬されている。

※この「巨文島事件と日本」の解説は、「巨文島事件」の解説の一部です。
「巨文島事件と日本」を含む「巨文島事件」の記事については、「巨文島事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「巨文島事件と日本」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「巨文島事件と日本」の関連用語

1
巨文島事件 百科事典
8% |||||

巨文島事件と日本のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



巨文島事件と日本のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの巨文島事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS