題名と内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:20 UTC 版)
原題(ラテン語)において、「Ira」は怒りや(復讐を望むほどの)憤怒、(抑えがたい)激怒、不正行為によって引き起こされる好戦性、激昂、憤慨――そして何よりもまず、怒ること(情念)と定義される。 全部で3巻からなる『怒りについて』は、セネカの「対話篇」(ディアロギー)と呼ばれる一連の著作の一部を成している。この論文は前述の通り、セネカの長兄、ルキウス・アンナエウス・ノウァートゥス宛に献呈されている。第1巻冒頭は以下のように始まる: ルーキーリウス、君は私に訪ねた。 全3巻の構成をとってはいるものの、『怒りについて』は事実上、2部からなる。第1部(I-II.17)では理論的な疑問に答えているのに対して、第2部(II.18-III)では怒りの治療法についての助言を説いている。第1部においてセネカは、怒りの醜さと破壊性について前文で触れてから、怒りについての定義をおこなっている。彼はそれに続き、怒りは自然なものなのか、適度なものにできるのか、不随意なものなのか、完全に消し去ることができるのか、といった疑問に、それぞれ答えるかたちでセネカ自身の見解を述べている。「治療篇」とも呼びうる第2部においてセネカはまず、怒りに陥らない方法は、子ども(教育期)と成人に異なったものを与えうるとする説明から始めている。続いて、怒りを未然に防いだり、消したりするための方法や、歴史上・同時代の逸話から、見習うべき例や避けるべき例を紹介している。セネカはまた、結論に移るまえに、他の人間がもつ怒りを鎮める方法についていくつか触れている。 なお、「対話篇」と呼ばれるものの、『怒りについて』をはじめとしたセネカの著作は複数の登場人物の対話形式という形をとっていない。その代わり、『怒りについて』のなかでセネカは、ガッリオーまたは無名の第三者からの質問に答える対話的形式を取りながら、指し示される疑問や異論そのものを新しい節の始まりとして論旨を展開させている。この論法は、哲学よりもむしろ弁論術に起源をもち、セネカよりも前の時代に活躍したキケローもしばしば用いた。
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