イブン・ジュルジュルとは? わかりやすく解説

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イブン・ジュルジュル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 05:29 UTC 版)

イブン・ジュルジュルIbn Juljul al-Andalusī, 943年頃生、994年以降歿)は、10世紀イベリア半島のムスリムの医者、薬理学者[1][2]後ウマイヤ朝カリフヒシャーム2世の典医を務めた[1][2]。医学の歴史に関する歴史書を著したことで知られる[1][2]

生涯

イブン・ジュルジュルの生涯に関する多くの情報は、彼自身が書き残した自伝が情報源である[1][2]。自伝の原本は散逸してしまっているが、その内容はハフス朝チュニジアの詩人イブン・アッバール英語版(1260年歿)の著作 Takmilla に引用されており、伝存している[1][2]。他の情報源としては、イブン・アビー・ウサイビア(1269年頃歿)の Uyūn がある[2]

イブン・ジュルジュルはヒジュラ暦332年(西暦943年又は944年に相当)にコルドバで生まれた[1][3]。名前(イスム)は「スライマーン」、父親の名前は「ハッサーン」(Sulaymān b. Ḥassān)といい、「アブー・ダーウード」(Abū Dāwūd)というクンヤで呼ばれた[3]。11歳ごろからコルドバでアラビア語文法学と伝承学を学んだ[1][注釈 1]。14歳のときに医学に転向[2]、24歳までの10年間、後ウマイヤ朝の宮廷で医学を学び、権威として認められるようになった[1][2]。当時のコルドバ宮廷はアブドゥッラフマーン3世を君主とし、そこには宰相であり典医も務めたユダヤ人、ハスダイ・イブン・シャプルトを中心とする、ギリシア由来の学問を修めた学者のグループが形成されていた[2]。イブン・ジュルジュルが医学を学んだのはそのような環境においてであった[2]。イブン・ジュルジュルはその後、カリフ・ヒシャーム2世(在位977年-1009年)の典医を務め、後進の医学者も育てた[2]。亡くなったのは西暦994年以降のようである[1]

イベリア半島のイスラーム時代は、イブン・ジュルジュルの生きた時代から500年近く続く。この間に書かれた本草学の著作においてはイブン・ジュルジュルへの言及が頻繁にみられることから、イブン・ジュルジュルの著作が長く読み継がれた可能性は高い[2]

著作

イブン・ジュルジュルは、『医者と才人の系譜』 (Ṭabaqāt al-aṭibbā' wa'l-ḥukamā' )と題した本を987年に書き終えた[1]。この本はアラビア語で書かれた医学の歴史としては2番目に古い本である[1]。1番古い本は、イスハーク・ブン・フナインアラビア語版(Ishāq ibn Ḥunayn)の『諸医学の歴史』 (Ta'rīj al-aṭibbā') であるが、『医者と才人の系譜』は『諸医学の歴史』より正確であり、網羅的である[1]。『医者と才人の系譜』は、ギリシア・ローマ・東方イスラーム世界から31人[注釈 2]、西方イスラーム世界から26人、全部で57人の医学者を選び、師弟関係に基づいて9つの系譜に分類したものである。イブン・ジュルジュルが参照した文献は、古代ギリシア文化のもの(ヒポクラテスディオスコリデスガレノス)、ラテン文化のもの(オロシウスイシドールス、以後のイベリア半島のキリスト教徒の医学者たち)、イスラーム文化のもの(アブー・マアシャルフランス語版)がある。ただし、内容に誤りが多く、特に時系列の順序が間違っていることが多いが、興味深い情報を伝えていることは確かである[注釈 3]。列伝の後半部分は10世紀コルドバについて詳細な情報を現代にもたらしている。イブン・ジュルジュルは、アッバース朝のカリフ・ラーディーフランス語版(940年没)の治世以後、東方イスラーム世界にもはや見るべき重要な人物はいないと言い切っている。

以下は題名と内容の少なくとも一部が伝存している著作のリストである[2]

  • Tafsīr asmā' al-adwiya al-mufrada min kitāb Diyusqūridūs
  • Maqāla fī dhikr al-adwiya al-mufrada lam yadhkurha Diyusqūridūs
  • Maqāla fī Adwiyat at-tiryāq
  • Risālat al-tabyīn fī-mā ghalaṭa fīhi ba'ḍ al-mutaṭabbibīn

Tafsīr asmā' al-adwiya al-mufrada min kitāb Diyusqūridūs は982年に書かれ、ディオスコリデスの著作に基づいて薬草を解説した著作である[2]。317種類の医療用植物のギリシア語名とアラビア語名を対照させ、それらの見分け方について説明する[2]。ただし、伝存するのはその一部に過ぎない[2]

Maqāla fī dhikr al-adwiya al-mufrada lam yadhkurha DiyusqūridūsTafsīr の後に書かれ、ディオスコリデスの著書 De materia medica を補完する内容になっている。Maqāla fī Adwiyat at-tiryāq はテリアカに関する著作である[2]Risālat al-tabyīn fī-mā ghalaṭa fīhi ba'ḍ al-mutaṭabbibīn(幾人かの医学者の誤りについて)は、偽医師による誤った医療行為について書かれた著作のようである[2]

アルベルトゥス・マグヌスは、著作 De sententiis antiquorumDe materia metallorum (De mineralibus, III, 1, 4) の中で、"Gilgil" という名前の著者の De secretis という著作を引用している[2]。"Gilgil" はおそらくイブン・ジュルジュルのことであり、De secretis は散逸して現代には伝わらなかった彼の著作である[2]

注釈

  1. ^ なお、師はアブー・バクル・アフマド・イブン・ファドル・ディーナワリーという人物である[3]
  2. ^ Hermès I, II et III, Asclépiade, Apollon, Hippocrate, Dioscoride, Platon, Aristote, Socrate, Démocrite, Ptolémée, Caton, Euclide, Galien, al-Harith al-Thaqafi, Ibn Abi Rumtha, Ibn Abhar, Masarjawayhi, Bakhtishu, Jabril ibn Bakhtishu, Yuhanna ibn Masawayhi, Yuhanna ibn al-Bitriq, Hunayn ibn Ishaq, al-Kindi, Thabit ibn Qurra, Qusta ibn Luqa, al-Razi, Thabit ibn Sinan, Ibn Wasif, Nastas ibn Jurahy.
  3. ^ ギリシアの医学書のアラビア語への最初の翻訳の例として、アレクサンドリアのアーロンの『クンナシュ』(Kunnash) を挙げている。これはゴシオスなる人物(5世紀末から6世紀初頭に活躍したペトラのゲシオスに比定されている)によってシリア語訳をもとにして翻訳された。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Dietrich,, A. (1960–2005). "Ibn D̲j̲uld̲j̲ul". The Encyclopaedia of Islam, New Edition. Leiden: E. J. Brill. doi:10.1163/1573-3912_islam_SIM_3146
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Vernet, J. (2008). "Ibn Juljul, Sulaymān Ibn Ḥasan". Complete Dictionary of Scientific Biography. 2023年6月5日閲覧
  3. ^ a b c سليمان بن حسان المتطبب”. Islam.web. 2018年5月28日閲覧。

発展資料

  • Ibn Juljul, Kitāb ṭabaqāt al-aṭibbā' wa'l-ḥukamā' , ed. Fuad Sayyid, Cairo, 1955.
    • Ṭabaqāt の校訂本。
  • Vernet, Juan. « Los médicos andaluces en el Libro de las generaciones de los médicos de Ibn Ýulýul », Anuario de Estudios Medievales 5, 1968, p. 445-462. (再録: Estudios de Historia de la Ciencia Medieval, Barcelone, 1979, p. 469-486.)
    • Ṭabaqāt の後半部分からアンダルスの医学者に関する部分のみを現代スペイン語に翻訳したもの。
  • Garijo, Ildefonso. « El tratado de Ibn Ýulýul sobre los medicamentos que no mencionó Dioscórides », in Ciencia de la naturaleza en Andalusia. Textos y Estudios I, éd. Expiración Garcia Sànchez, Grenade, 1990, p. 57-70.
  • Dietrich, Albert : Die Ergänzung Ibn Ğulğul’s zur Materia medica des Dioskurides. Arabischer Text nebst kommentierter deutscher Übersetzung. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1993 ISBN 3-525-82589-7
    • Maqāla fī dhikr al-adwiya al-mufrada lam yadhkurha Diyusqūridūs のドイツ語翻訳と解説。

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