寛文事件とは? わかりやすく解説

寛文事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 10:09 UTC 版)

伊達騒動」の記事における「寛文事件」の解説

一般に伊達騒動呼ばれるのは、この寛文事件を指す。 綱藩主になると、初め大叔父にあたる宗勝や最高の相談役である立花忠茂信任する奉行(他藩の家老相当)奥山常辰が、その失脚後に宗勝自身実権掌握し権勢振るった。宗勝は監察を持つ目付権力強化して寵愛し奉行上回る権力与えて自身集権化行った奉行原田宗輔もこれに加担してその中で諫言した里見重勝の跡式認可せずに故意に無嗣断絶追い込んだり、席次問題端を発した伊東家一族処罰事件が起こる。 かつて奥山失脚追い込んだ一門伊達宗重涌谷伊達家)と宗勝の甥にあたる伊達宗倫(登米伊達家)所領紛争谷地騒動)が起こり、一旦宗重は裁定案を呑んだものの、宗勝の寵臣今村筆頭とする検分役人による郡境検分問題生じたことにより、伊達宗勝派の専横幕府上訴することになった寛文11年1671年1月25日柴田朝意騒動審問のために伊達宗重より早く江戸幕府より江戸出府の命を受け、仙台より江戸に立つ。また朝意は田村宗良に、自身老齢理由古内義如江戸出府要望する同年3月7日伊達宗重柴田原田老中板倉重矩邸に呼ばれ土屋数直列座の下で1度目審議が行われ、最初に朝意が審問受けた。この審問で、藩主伊達綱基(後に改名して綱)への処分がないことが確定した旨の書状を朝意は隠居の綱宗の附家老田村家家老送っている。なお、原田柴田証言食い違いにより、古内呼ばれることとなった同年3月27日当初予定板倉邸から大老1666年寛文6年就任)である酒井忠清邸に場所を変更し酒井忠清初め老中全員幕府大目付列座する中で2度目の審問が行われるが、その審問中の控え室にて原田その場で宗重を斬殺し、老中のいる部屋向かって突入した驚いた柴田原田と斬りあいになり、互いに負傷した聞役蜂屋可広柴田加勢したが、混乱した酒井家家臣に3人とも斬られて、原田即死柴田その日のうちに、蜂屋翌日死亡した関係者死亡した事件事後処理では、正式に藩主幼少のためお構い無しとされ、大老宅で刃傷沙汰起こした原田家元より裁判の争点となった宗勝派及び、藩主代行としての責任を持つ両後見人処罰され、特に年長後見人としての責務問われた宗勝の一関藩改易となった刃傷事件の顛末記録として当事者のものとしては古内義如書状酒井家家臣記録があり、伝聞としては伊達宗重家臣川口事件直後古内聞いた話や末期柴田からその家臣藩医聞いた話、同じく虫の息蜂屋からその息子娘婿聞いた話などがあり、公式記録としては『徳川実紀』や『寛文年録』、仙台藩の「治家記録」などがある他、後世実録物加えるとその量は多い。また歌舞伎伽羅先代萩』『伊達競阿国戯場』や、山本周五郎小説樅ノ木は残った』などの題材となった派閥以下のとおり役職は「仙台市史」より抜粋。 反伊達宗勝伊達安芸宗重(一門、反奥山派→反宗勝派) 柴田外記朝意(奉行、宗勝から奥山派とされた) 古内志摩義如(奉行、宗勝から奥山派とされた) 茂庭周防良元(若年寄評定役片倉小十郎長 里見十左衛門重勝(小姓頭、旧反奥山派) 伊東七十郎重孝 蜂屋(谷)六郎左衛門可広(聞役田村顕住(出入司渡辺原田から宗重派とされた) 主な伊達宗勝伊達兵部少輔宗勝(一門大名後見役当初田村宗良同様に奉行の案を追認するだけであったが、後に実権掌握奥山大学常辰(奉行筆頭初期には綱宗や立花忠茂信任により宗勝以上に実権握り内分分知後見人仙台藩との関係巡って宗勝や田村宗良対立し失脚原田甲斐宗輔(奉行当初は宗勝からは悪評価を受けていたが、奥山失脚後に宗勝の太鼓持ちとして台頭津田玄蕃景康(若年寄評定役高泉長門兼康(江戸番頭志賀右衛門由清(徒小姓頭谷地騒動を寛文事件に発展させた検分役人、但し「悪儀の同類ではない」とされる浜田一郎兵衛重次(徒小姓頭谷地騒動を寛文事件に発展させた検分役人、但し「悪儀の同類ではない」とされる今村太夫安長目付谷地騒動を寛文事件に発展させた検分役人寵臣中心人物横山弥次郎右衛門元時(目付谷地騒動を寛文事件に発展させた検分役人早川淡路永義 渡辺金兵衛義俊目付小姓頭寵臣中心人物

※この「寛文事件」の解説は、「伊達騒動」の解説の一部です。
「寛文事件」を含む「伊達騒動」の記事については、「伊達騒動」の概要を参照ください。

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