天候・海象に起因する事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:16 UTC 版)
「軍艦の事故」の記事における「天候・海象に起因する事故」の解説
軍艦も船舶であり、天候の影響から逃れられるものではない。嵐・高波による転覆・沈没事案は枚挙に暇がない。 代表的な事例 開陽丸(江戸幕府・汽走フリゲート)と神速丸(江戸幕府・運送船) - 1868年12月28日・1869年1月4日明治元年11月15日(旧暦)、「開陽丸」が蝦夷地江差沖に錨泊中、北西の地方風である「たば風」により走錨し座礁(約10日後に沈没)。22日、離礁支援活動中の「神速丸」も「たば風」により座礁沈没。 主因は現地気象の調査不足。加えて現地の海底は岩盤で、錨爪により得られる把駐力が限られる底質であった。 キャプテン(イギリス・砲塔艦) - 1870年9月6日、死者約480名スペインのフィニステレ岬沖を航行中、強風で転覆沈没。生存者18名。 原因は諸説あるが、小型の船体に武装過多による復原力不足との説が有力である。 エルトゥールル号遭難事件(オスマン帝国・汽走フリゲート) - 1890年9月16日、死者・行方不明者587名前後(諸説あり)和歌山県紀伊大島樫野埼灯台東方で、台風に遭遇した「エルトゥールル」が触礁沈没。大島村(現・串本町)住民の献身的な救護活動により69名が救助され、翌年日本軍艦で送還された。 一連の活動はトルコの親日感情を大きく醸成し、現在に至るまで影響を及ぼしている。 扶桑(日本・中央砲郭艦) - 1897年10月29日愛媛県長浜町沖の伊予灘で錨泊中、荒天で錨鎖を切断され漂流し、僚艦「松島」の衝角に衝突後「厳島」の右舷に接触し沈没。 艦は翌年6月浮揚され、修理・改装の後1900年4月再就役した。 アポロ級シビル(イギリス・防護巡洋艦) - 1901年1月16日ケープ植民地西ケープ州沖で、荒天で風に流され、沿岸に座礁し沈没。 春雨(日本・駆逐艦) - 1911年11月24日、死者44名荒天により三重県の的矢湾口、長岡村(現・鳥羽市)菅埼付近の暗礁で触礁沈没。生存者20名。 新高(日本・防護巡洋艦) - 1922年8月26日、死者300名超カムチャツカ半島オゼルナヤ沖で錨泊中に暴風雨で走錨、沿岸に座礁し浸水転覆。生存者16名。 早蕨(日本・駆逐艦) - 1932年12月3日、死者104名馬公要港部向けの補給物資を輸送中、台湾島北方沖の東シナ海で荒天に遭遇し、右舷からの大波で転覆沈没。生存者14名。 主因は甲板上への物資の過搭載であるが、高重心による復原力不足が遠因になったとの指摘もある。 第四艦隊事件(日本) - 1935年9月26日、死者54名大演習中の艦隊が三陸沖で台風に遭遇し、船体切断(駆逐艦2隻)、重大損傷(航空母艦2隻、駆逐艦4隻等)、外板に亀裂・皺・リベット弛緩(重巡洋艦2隻、潜水母艦1隻、駆逐艦多数)等の大きな被害が生じた。 想定規模を超えた荒天、無理な設計による船体強度不足等、様々な要因が提示され、以後の日本海軍の艦艇設計に重大な影響を与えた。 ハル、モナハン、スペンス(アメリカ海軍・駆逐艦) - 1944年12月18日いずれも第3艦隊所属としてフィリピン攻略戦へ参加中にサマール島沖で巨大な台風(アメリカ名Typhoon Cobra)に遭遇し沈没。 原因としては、開戦後に追加された対空兵装によるトップヘビーや、そもそもの凌波性・対波性の不足が挙げられる。 又この台風により、空母を含む多数の艦船に損傷が発生し、100機以上の航空機が流失、3艦を含む全体での死者は790名に上っている。 ダトゥ・カランチャウ (フィリピン海軍・フリゲート) - 1981年9月21日、死者79人フィリピン北部カラヤン島にて台風による事故で喪失、乗員97人中79人が事故により亡くなりフィリピン海軍史上最悪の海難事故と一つと言われる ダトゥ・カランチャウの前身キャノン級護衛駆逐艦のブースは艦齢30超える老朽艦であった。
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