埋め立て案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:23 UTC 版)
太田建設から両国政府に提案された。社長であり沖縄商工会議所会頭の太田範雄は軍事専門誌に記事を載せている。想定地はキャンプ・シュワブ沖、正確には宜野座村北部から名護市南部にかけてである。人工島はキャンプ・シュワブの訓練水域に設置し、沖合いの空港部分と陸上との連絡部からなる逆L字型である。陸上との連絡部分はキャンプ・シュワブ内に設置し、有事の際にも十分機能を持つものとしている。その北側には普天間と同じくSACO中間報告で返還計画に組み入れられた那覇軍港と牧港補給地区(キャンプ・キンザー)も移設する案であった。 那覇軍港は面積が56haほどあるが水深は10mに満たず、大型艦の停泊・旋回に難があった。1974年に日米政府で返還が合意されていたが、移設作業が進まなかった。しかし、1995年の日米合同委員会決定を経て、1996年のSACO報告では牧港に程近い浦添市沖へ35haに縮小しての移設が合意されたばかりであった。太田案ではこれも辺野古に移設することで那覇の振興に繋げる考えであった。なお、牧港補給地区の面積は245haである。 計画概要は次のようなものである。 設定する上での自然条件 海岸から1.5km~2.0kmの位置に水深0.5m程度の珊瑚礁が広がり、それらの陸側は水深3.0~5.0m程度の浅い珊礁になっている。 風向・風速は年間を通じて北~北東の風が35%の出現率である。風速10m/s以上の風向きの頻度は、南西~北北南または南東~南が多い。風速については陸上の1.2~2.8倍である。 波浪は、リーフ内の海水の出入りのために宜野座側のリーフの切れ目に集中して海水の入れ替えが行われている。 久志湾内は、内陸部で発生した赤土の流入により、かなりのヘドロが堆積している。 計画設定値 計画面積は計525haである。内訳は次の通り。 空港機能:300ha(『日経コンストラクション』ではヘリポート250haとなっている) 港湾機能:80ha ストックヤード:145ha 上述の説明や記事された記事の添付図から明らかでもあるが、形態は後年のロードマップで確定したV字型滑走路ではない。具体的には下記のようになっている。 3700mの滑走路1本が設けられ、並行してヘリポート数ヶ所と整備、管理施設等が配置されている。 荷揚げ岸壁はコンテナヤードとバラもの荷揚げ部分に分けて設置する。接岸場所は水深確保が容易であるように外洋に設定する。 港湾内の海水は潮の干満に従って入れ替わり、潮流の妨げにならないようにする。 軍港両岸、飛行場北岸に倉庫、屋外荷物集積場を配置し、牧港補給基地の代替移設場所に供する。 付帯事項 次のような趣旨が述べられている。 辺野古地区の漁民(約60人)が大浦湾を経由して海洋に出るのは不便なため、陸地とキャンプ地の間に水路を設ける。幅は200mであり、両岸は架橋する。 交通事故防止のため、沖縄自動車道からキャンプ・シュワブにアクセス道を設けることで、米軍車両が一般道を通行しないで済むように計る。 滑走路は軍民共用とし、花卉園芸商品、農水産物等の日本本土への移出に使用する。 沖縄県のアクション・プログラムの実現する2015年以降は完全民間空港、貿易港として使用する。 セミサブ式メガフロートは瞬間風速80mに達する沖縄近海では不適であり、漁場荒廃の恐れもある。また県内への経済波及効果も無い。埋立計画の方が費用も安価であり、県内業者で施工可能である。 本計画は周辺の海底から土砂を吸い上げる干拓作業であるので、赤土流出によって周辺海域を汚染することは無い。 架橋と埋立による連絡路の他に辺野古崎の埋立地とを結ぶ地下道を設置し、軍用物資の搬入と避難路を兼ねるようにする。なお、大浦湾所在のリーフは魚介類が豊富な漁場であるため、計画から外すように考慮している。太田案の工事費は約6000億円である。 以上が計画内容である。太田建設は当時沖縄の新興建設会社で、1970年代から80年代にかけて、勝連半島沖、平安座島での石油備蓄法に基づく民間石油備蓄基地建設に当たった実績がある。なお、比較的水深の深い埋め立てであった関西国際空港の場合、水深は20m前後であった。防衛事務次官の村田直昭は1997年1月16日、「地元全体の意見が出てくれば無視する訳にはいかない」とコメントした。 なお、太田は目的のひとつに「普天間基地に現存する海兵隊の基地機能を嘉手納空軍に移設集中することによって、嘉手納基地の機能強化されることを防止」することを挙げている。また、地元から計画案を提出した意図については、過去の沖縄史では他律的に運命を決められてきたのに対して、当時の副知事であった吉本の「沖縄が主導権を握るべきだ」という言葉を挙げて、積極策を採って基地問題解決に対処するための一策という趣旨を述べている。 結局のところ、メガフロートが開発途上の技術で実績が少なかったこと、地元経済に配慮する必要性が唱えられたため、(太田案そのままではないが)工法としては埋め立てが優勢となっていく。
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