辺野古沖現行案の合意
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「普天間基地移設問題」の記事における「辺野古沖現行案の合意」の解説
2006年4月、固定翼機の飛行ルートが住宅地を避け、極力海上のみになるよう滑走路2本をV字型に配置、立地を埋め立てする案(現行案)で防衛庁長官・額賀福志郎と名護市長の島袋が合意した。2006年5月には米軍再編協議(DPRI)の最終報告「再編実施のための日米のロードマップ」が日米両国政府間で合意され、この案はその中に包含される形で承認された。移転先は「普天間飛行場の能力を代替する」ものであり、「即応性の維持が優先」されることになっていた。このロードマップは2009年5月13日に国会承認され、在日米軍再編の中核となるものとされた。 現行案の概要 辺野古岬と、大浦湾・辺野古湾の水域を結ぶ形でV字型に2本の滑走路を設置する。滑走路はそれぞれ1600メートル、2つの100メートルのオーバーランを有する。 代替施設の建設は、2014年までに完成させる。 移設は、代替施設が完全に運用上の能力を備えた時に実施される。 滑走路建設の工法は原則として、埋立てで行う。 第3海兵遠征軍(3MEF)のうち、指揮部隊、第3海兵師団司令部、第3海兵後方群司令部、第1海兵航空団司令部及び第12海兵連隊司令部の8000名の隊員と9000名の家族は部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する。 日本はグアムの施設及びインフラ整備のため、 28億ドルの直接的な財政支援をふくめた60.9億ドルを提供する。 嘉手納以南の統合及び土地の返還は、海兵隊司令部要員・家族の移転完了に懸かっている。 一方、稲嶺は県を外す形で国・名護市合意がなされたことに反発、同合意の受け容れを拒否した。稲嶺は2期8年のあいだ県知事であったが、その間の各種の交渉にあっても、稲嶺の主張する15年期限等の条件は米国が容認するものではなく、辺野古での海兵隊飛行場施設案の具体化のみが進行した。結局、稲嶺条件は日米両当局から何の具体的考慮もされることなく、知事の任期切れを迎えた。 2006年11月の県知事選挙では、仲井眞弘多が、普天間基地の危険性早期除去を主眼とし、「現行案のままでは賛成できない」という公約を明らかにして当選した。 基地建設容認派が推す仲井眞が当選したことにより、辺野古沿岸を埋め立てる現行案(滑走路V字型配置案)によって施設案の具体化が進められた。進行中の環境アセスメント手続きも、当該案によっている。一方、2007年1月、島袋名護市長は建設位置を当該案よりも沖合いに移動させるよう主張、仲井眞知事も「名護市の意向を尊重する」として、建設位置を可能な限り沖合に移すことを要求したが、米国側は日米合意済みの案どおりの実施を主張した。同年4月、那覇防衛施設局は環境アセスメントのための現況調査に着手、8月には環境アセスメント方法書の県への提出、12月、沖縄県環境影響環境評価審査会は方法書の再提出を要求、2008年3月には方法書の確定、4月に環境アセスメント準備書の公告縦覧開始、10月に準備書に対する知事意見書の提出まで進んだ。
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