地質時代研究の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 16:47 UTC 版)
詳細は地質学の歴史および古生物学の歴史(英語版)を参照。 古代から中世にかけて現生生物とはかけ離れた化石の発見から古生物の存在や、貝の化石が海から離れた場所で見つかることから現在の陸地が昔は海であった可能性などの推察があった。一方で、化石は生物起源ではない変わった形の岩石であり、『創造論』に基づいた時代認識が近世まで続いていた。近世に入りルネサンスを経て自然科学の発展が始まり近代につながる地球科学の各分野が誕生した。 16世紀 1548年、「鉱物学の父」と呼ばれるドイツのゲオルク・アグリコラが『化石の本性について』を出版し、化石は生物に類似した形になった鉱物ではなく、生物起源であると発表した。 1555年、スイスの博物学者コンラート・ゲスナーが化石を図入りで記載した『化石の全種類について』を出版した。 17世紀 1669年、デンマーク人のニコラウス・ステノがイタリアのトスカーナ地方の化石や地層について記述した地質学の先駆的な著書である『固体の中に自然に含まれている固体についての論文への序文』を出版、地層累重の法則を提唱し、層序学の基礎を作る。 17世紀から18世紀にかけて化石が大洪水(天変地異説)による過去の生物の遺骸であるとの認識が広まる。 18世紀 1709年、スイスのヨハン・ヤーコブ・ショイヒツァーが植物化石をまとめた『洪水植物誌』を出版した。 1735年、「分類学の父」と呼ばれるスウェーデンのリンネが『自然の体系』を出版、分類学の基礎を作る。 1759年、イタリアの地質学者ジョヴァンニ・アルドゥイノ(英語版)が、イタリアの南アルプスの地層の分析から地質時代を第一紀(化石の出ない時代)、第二紀(化石が出るが現生生物とは遙かに異なる)、第三紀(現生生物に近い生物の化石が出る時代)に分類した。後に第四紀が追加されるが、その後の研究の進展から第一・第二紀は使われなくなり、第三紀は古第三紀と新第三紀に分割され、第三紀は使われなくなった。 18世紀後半になると産業革命に伴う鉱山開発から岩石や化石に関する関心も高まり、地質学や古生物学の基礎が形作られる。 ドイツの地質学者アブラハム・ゴットロープ・ウェルナーが鉱物分類法・構造地質学の基礎を築く。水成論(水成岩起源説)を提唱した。 1795年、イギリスのジェイムズ・ハットンが『地球の理論(Theory of the Earth)』を出版、斉一説および火成論を提唱、地殻運動の証拠となる「不整合」を発見。 19世紀 1809年、フランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルクが『動物哲学』を出版し、軟体動物化石の研究から進化論を提唱した。 「英国地質学の父」、「層位学の父」と呼ばれるウィリアム・スミスが地層累重の法則と示準化石による年代決定法(地層同定の法則)を編み出し、イギリスの地質図(1815年)を作った。 1831年、フランスの博物学者ジョルジュ・キュヴィエが『骨化石の研究』を出版した。比較解剖学の創始者。 1859年、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を発表し進化論を提唱する。 20世紀 1912年、ドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナーが大陸移動説を提唱した。 1922年、ソ連の化学者アレクサンドル・オパーリンが化学進化説を提唱した。 1929年、松山基範が、東アジア各地の岩石の残留磁気の測定結果から地球磁場の反転説を提唱した。 1940年代に質量分析器が開発され、50年代に放射性炭素年代測定が始まる。 1960年代代後半にプレートテクトニクスが確立。 1975年、米国のウィリアム・ハートマン(英語版)とドナルド・R・デイヴィス(英語版)が月の生成に関するジャイアント・インパクト説を再提唱。 1980年、恐竜絶滅の隕石衝突説が提唱され、1991年に衝突跡がチクシュルーブ・クレーターと特定された。 1992年、雪玉地球仮説が提唱された。 21世紀 縞状鉄鉱床の研究や炭素・硫黄などの同位体の分析から提唱されている質量非依存同位体分別効果(英語版)に関連し大酸化イベント(英語版)と呼ばれる遊離酸素濃度の急激な上昇が研究されている。
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