国産ロケットへのあゆみ(1)
「N-Iロケット」は、日本ロケット開発の大きな転回点
アメリカからデルタロケットの技術導入が決まり、新たにN計画の改定案が立案されました。導入技術と国産技術を高度に融合した、新N計画の第1世代ロケット「N-I」の開発がはじまりました。N-Iは3段からなり、第1段の液体ロケットと第3段の固体ロケットはアメリカから技術導入して作られましたが、第2段にはQロケットの開発成果を生かした国産の液体ロケットが採用されています。こうして、全長32.6m、最大直径2.4m、総重量約90tという、わが国初の大型ロケットN−Iロケットは、1975年9月9日、第1号機が打ち上げられたのです(写真)。初号機には技術試験衛星I型(ETS-I)「きく」が搭載されました。また、1977年、N-Iロケット3号機で打ち上げられたETS-IIは軌道投入後「きく2号」と命名され、わが国初の静止衛星となりました。このとき日本は、世界で3番目の静止衛星打上げ国となったのです。
350kgの衛星搭載能力をもつ「N-IIロケット」
1975年以降、100kg級の通信衛星、技術試験衛星が、N-Iロケットによって執と打ち上げられました。しかし当時、宇宙技術の先進国では300kg以上の静止衛星が主力で、N-Iの打ち上げ能力は130キログラムが限界でした。日本は次型帰N-IIロケット開発の必要性に直面し、結局、これをN-I同様アメリカの技術導入により乗り切ることになりました。完成したN-IIロケットは、全長35.4m、高度36,000kmの静止衛星軌道に350kgの衛星を投入する能力をもつ3段式ロケットです。1981年2月11日、技術試験衛星IV型「きく3号」を積んだ1号機が、種子島宇宙センターから打ち上げられました(写真)。以来、6年にわたり、計8回の打ち上げすべてに成功し、絶大な信頼性を誇るロケットとなりました。
世界に比肩する「H-Iロケット」の自主開発技術
海外からの技術導入には機密制約があり、N-IやN-IIにおいては完成品の部品などを輸入したりしていました。そのためN-IIロケット打上げの前後から、将来は純国産技術のロケット開発をめざそうとの声が高まりました。H-Iは、そうした声を受けて開発されたロケットで、全3段のうち、アメリカの技術に頼ったのは第1段の補助ブースターと衛星を囲うフェアリングのみ。それ以外は国産技術によって開発されました。ロケット第2段の液体酸素・液体水素を推進剤とするLE-5エンジンは、いったん燃焼を停止したのち、無重力空間で再着火するという高度な技術をもっています。また緻密さを要求される管制誘導装置も自前の技術で完成させたものでした。H-Iは、1986年8月13日に第1号機が打ち上げられて以来(写真)、5年半にわたって活躍し、通信衛星「さくら3号」(CS-3)、気象衛星「ひまわり4号」(GMS-4)、地球資源衛星「ふよう1号」(JERS-1)など10以上の衛星や実験用ペイロードを宇宙に打ち上げました。
国産ロケットへのあゆみ(2)
1994年2月、10年間の開発を経て悲願の「H-IIロケット」打ち上げ
H-IIロケットは、H-I以前のロケットとはまったく系統の異なる、完全に新しいロケットとして開発が進められました。そのなかでもっとも困難な課題の1つは、第1段のエンジン開発でした。これはロケット打上げの成否を左右するエンジンであり、失敗は許されませんでした。その新エンジンであるLE-7は、何度も試験に失敗し、開発は困難をきわめました。軽量化とそれに伴う高効率化、振動・音響・温度への耐久性の確保など、LE-7の開発は日本のロケット史上もっとも困難な課題といえるものでした。しかし、国産ロケットにかける担当者たちの熱意が困難を打ち破り、ついに予定から2年遅れて1994年2月、純国産ロケット「H-II」初号機が種子島宇宙センターから打ち上げられました。10年の開発期間を経てようやく成し遂げられた、悲願の打ち上げ成功でした。
「J-I」は、開発をより円滑に進める低コスト化の試み
H-IIを完成させた日本は、世界の宇宙開発をつねにリードしてきたアメリカとロシアにようやく肩を並べました。日本が世界に貢献できるようになった今後は、国内の宇宙開発を円滑に進めるためにも、コスト削減は避けられない課題となります。その低コスト化に向けた試みの1つが、「J-Iロケット」です。第1段に宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))が開発したH-IIの固体ロケットブースター、第2・第3段には宇宙科学研究所(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))のMロケット用固体モーターを用いて、開発にかかる手間と時間を大幅に減らすことに成功しています。このJ-Iロケットの1号機は、1996年2月12日、極超音速飛行実験機(HYFLEX)を搭載して打ち上げられました。
コスト削減と柔軟性の両立をめざした改良型「H-IIA」
コスト削減を実現するもう1つの大きな柱は、開発するロケットに、毎回変わる衛星のサイズや個数など、打上げニーズに対応可能な柔軟性をもたせることです。2001年に打上げが成功した「H-IIA」は、そうした観点からH-IIを改良したロケットです。H-IIAロケットでは、接続する固体ロケットブースタ(SRB-A)の数や、固体補助ロケットブースタ(SSB)の数をミッションにあわせて変更することが可能です。
Weblioに収録されているすべての辞書から国産ロケットへのあゆみを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から国産ロケットへのあゆみを検索
- 国産ロケットへのあゆみのページへのリンク