古代の人々が見た宇宙
輝く星がちりばめられた夜空は、神秘(しんぴ)そのもの。それらの星の本当の姿を知るすべもない古代の人々は、宇宙というものをどのように考えていたのでしょうか。
カルデア人が考えた「大地をおおう傘」
星座を生み出したカルデア人は、人間の住む大地は平面で、空は傘(かさ)のように大地をおおっていると考えていました。古代文明にあっては、このように、平面な大地に傘やおわん型の天空がかぶさっているという考え方が多かったようです。中国では、このほかに「空はニワトリのたまごの形をしており、大地はたまごの黄身(きみ)の中心にある」というとらえ方もありました。いずれにしても、天空は有限であり、太陽が昇ったり沈んだりすることで、夜と昼が分けられていると考えられていました。
宇宙を合理的に説明した、古代ギリシャの科学者たち
また、エジプトをはじめ天地創世(てんちそうせい)の神話をもつ民族は多く、さまざまな「宇宙の始まり」が語られています。ただし、星は1年ごとにかならず同じ位置にもどってくることから、星のめぐりは永遠にくり返すものとされ、宇宙には始まりはあっても終わりはないと信じられていました。紀元前5世紀から4世紀ごろになると、プラトンやアリストテレスといった古代ギリシャの哲学者たちが、宇宙を合理的に説明しようとして、その原理や構造の解明に努力します。原子(アトム)という考えをはじめて示したデモクリトスも、このころの学者です。やがて、紀元前2世紀になると、天文学者ヒッパルコスがあらわれ、当時としては驚異的な精度で月や惑星・恒星の位置を観測し、複雑な宇宙体系を明らかにしました。
中世の人々を支配した「プトレマイオスの宇宙」
アリストテレスやヒッパルコスの考えた宇宙を体系的にまとめあげたのが、やはりギリシャの天文学者であるプトレマイオスです。プトレマイオスは西暦127年から精密な天体観測をおこなったことがわかっており、『アルマゲスト』と呼ばれるそれまでの天文学の集大成となる著書をあらわしました。プトレマイオスの組み立てた宇宙像は、地球を中心として天球がそのまわりを回っているという天動説(てんどうせつ)で、金星、水星、火星などの惑星(わくせい)はさらにその天球の中で個別に円運動をおこなっているという考え方でした。このプトレマイオスの描いた宇宙の姿は多くの人々に受け入れられ、その後15世紀にコペルニクスが地動説(ちどうせつ)をとなえるまでヨーロッパを支配しました。
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