原爆切手とは? わかりやすく解説

原爆切手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 21:16 UTC 版)

原爆切手(げんばくきって)とは、原子爆弾やそのキノコ雲などを図案とした切手である。これまでにいくつか発行されているが[1]、中でも日本では、アメリカ合衆国郵便公社1995年平成7年)に発行を予定し1994年(平成6年)末に日米間で政治問題化したものが知られている[2]

1990年以前の原爆切手

「小さな外交官」とも呼ばれる切手[2]、発行する国家の政策やイデオロギーなどを表現する手段ともなっている[3]。世界で初めて1945年昭和20年)8月6日広島市投下され[4]30万人以上の命を奪い去った原子爆弾[5]反核平和を訴える格好の題材として、いくつかの国で切手の図案となっている[6]

1990年以前に発行された原爆切手としては以下のようなものが知られている。

これらの多くは反核・平和を趣旨とするものであった[6]。ただ、北ベトナム1967年に発行された切手は、水素爆弾を示す「H」と書かれた提灯を咥えて飛ぶハトを描いたデザインで、これは同年に行なわれた中国初の水爆実験が成功したことを祝って発行されたものである[6]

アメリカが発行を予定した原爆切手

現地時間の1994年平成7年)11月29日(日本時間11月30日)、アメリカ合衆国郵便公社はマスコミに向けて翌1995年(平成8年)に発行予定のすべての切手の図案を事前発表した[8]。その中には、1991年(平成3年)から毎年発行してきた[9]第二次世界大戦シリーズの最終第5集となる9月発行予定の切手シートも含まれていた[8]。日付は明示されなかったが、対日戦勝記念日である9月2日に発行予定だったとされる[10]。そのシートに含まれる10種の切手の中に、タテ26ミリメートル、ヨコ40ミリメートルのサイズで[11]原爆投下を象徴するキノコ雲の図案と、その下に「Atomic bombs hasten war's end[8][12]原爆戦争終結を早めた[13])」との説明がつけられた一枚があった[8][14]。アメリカ合衆国郵便公社の報道官は、第二次世界大戦を伝えるうえで原爆投下は外すわけにはいかないとし、「(選ばれた一〇の図案は)それぞれ歴史的に正しく公平な見方を示している」と説明した[15]

これに対して日本のマスコミは11月30日付けの夕刊以降[16]、批判的に報道した[8]内閣総理大臣村山富市が「(日本の)国民感情を逆撫でするようなことは困る」とコメントしたのをはじめ、副総理外務大臣河野洋平厚生大臣[注釈 1]井出正一など政府首脳が相次いで不快感を表明[17]広島市長平岡敬は「原爆の使用は正しかったという認識につながる。核兵器の使用は理由を問わず許されない」、長崎市長本島等も「戦後のソ連に対する優位性の確立を狙ったという認識が欠落している」と強く批判した[18]

日本側の反発に対してアメリカ合衆国郵政公社は、当初、「歴史的に重要な事実である」[8]国務省国防総省専門家の意見も聞きながら大戦全体として図案を決定した」「それぞれの切手は史実に基づき、大戦へのアメリカのかかわりを示している」[19]などとして予定通りの発行を譲らなかった[8][19]。しかし、12月6日の閣議後には郵政大臣大出俊が「もしアメリカがこんな切手を出すのなら、対抗して、日本も”原爆投下は国際法違反”と書いた切手を発行したいところだ」と述べるなど[20]日本側の反発は日を追って強まった[19]。こうした状況に日米関係の悪化を懸念したホワイトハウスが介入[8]。12月8日にアメリカ合衆国郵政公社は、大統領からデザインの変更が妥当との見解が示されたとして、「日米関係の重要性に考慮」して原爆切手の発行を撤回した[21][22]。キノコ雲に「原爆が戦争終結を早めた」との説明を加えた図案は、「勝利を発表するトルーマン大統領」に差し替えられた[12][11]

その後の原爆切手

アメリカが発行を予定していた原爆切手が日米間で物議を醸したのちの1995年平成7年)夏、マーシャル諸島が原爆切手を発行した[23]。タテ31ミリメートル、ヨコ51ミリメートルのサイズで、エノラ・ゲイキノコ雲を描いたものであった[23]。タブには、1945年昭和20年)8月6日昭和天皇が発したとされる「忍びがたきを忍び、我々はできるだけ早急にこの戦争を終結させなければならない」という言葉が印刷されている[23]

脚注

注釈

  1. ^ 厚生省は、被爆者の援護を所管していた。

出典

  1. ^ a b c d e f g 亀山久尚「気象の切手209 原爆きのこ雲の切手」『気象』第358号、財団法人日本気象協会、1987年2月15日、6頁。 
  2. ^ a b 内藤 2003, p. 6.
  3. ^ 内藤 2003, p. 272.
  4. ^ a b c d 押山 1966, p. 27.
  5. ^ 内藤 2003, p. 167.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 特集 世界の平和切手~ピカ研資料から 国境超え心つなぐ「外交官」”. 10代がつくる平和新聞 ひろしま国. 中國新聞社. 2022年1月15日閲覧。
  7. ^ 内藤 2010, p. 60.
  8. ^ a b c d e f g h 植村 1996, p. 203.
  9. ^ 内藤 2003, pp. 145–148.
  10. ^ 内藤 1996, pp. 188–189.
  11. ^ a b 植村 1996, p. 204.
  12. ^ a b 内藤 1996, p. 190.
  13. ^ 内藤 1996, p. 189.
  14. ^ 内藤 2003, pp. 145–146.
  15. ^ 内藤 2003, p. 146.
  16. ^ 内藤 1996, p. 191.
  17. ^ 内藤 2003, pp. 166–167.
  18. ^ 内藤 2003, p. 168.
  19. ^ a b c 内藤 2003, p. 169.
  20. ^ 内藤 1996, p. 195.
  21. ^ 内藤 1996, p. 198.
  22. ^ 内藤 2003, p. 174.
  23. ^ a b c 植村 1996, p. 205.

参考文献

関連項目


原爆切手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 18:37 UTC 版)

原爆切手発行問題」の記事における「原爆切手」の解説

1994年11月USPS翌年郵便切手発行計画デザインと共に発表したが、そのなかの「第二次大戦50周年」の記念切手10のうちの1枚に、原爆キノコ雲描かれ、その下に「原爆投下戦争終結早めた "Atomic bombs hasten the end of war, August 1945"」という文言入れられていたため、日本側から原爆使用正当化するものであり是認できるものではないとして反発起きた11月30日には日本側の複数新聞社批判的に報道したほか、12月2日には当時村山内閣外務大臣であった河野洋平が「被爆国であるわが国国民感情からいえば、決しいい感じ持たない」と不快感表明し首相村山富市同じよう感情示しアメリカ側対し外交ルート通じて事実上の「発行計画変更要請」を行った。 もっとも、第二次大戦50年記念切手真珠湾攻撃50周年1991年から毎年1回ずつ発行されており、最終的には原爆切手の発行予見きたはずであった。また日本政府側も外務省報道官アメリカ側の「原爆投下戦争終結早めた」との主張理解を示すなど完全に意思統一していなかったほか、ひたすら遺憾である”と繰り返し述べるだけで、不快感背景にあるアメリカ側歴史認識対す姿勢冷静に批判するまでには及ばなかった。当時広島市長であった平岡敬だけが「原爆使用正しかったとの認識につながる。核兵器使用理由問わず許されない」とストレートに批判した。 しかしアメリカでは原爆投下支持する考え根強く2005年TBSテレビ放送50周年 戦後60年特別企画ヒロシマ』で科学者ハロルド・アグニュー博士グレート・アーティスト搭乗し広島原爆唯一現存するキノコ雲映像撮影した)は広島訪問の際には2人被爆者からの謝罪要求拒否し、「(もし、申し訳ないと思うなら…)思わない」「恐ろしい兵器存在戦争抑止する」「真珠湾忘れるな」などと完全に正当化しており、ポール・ティベッツも死ぬまでに原爆投下肯定していた。2009年のキニピアック大学世論調査によると、アメリカ人60%が原爆投下支持している事が分かった1995年スミソニアン博物館企画した原爆投下エノラ・ゲイ広島長崎被爆資料並べて展示する原爆展は、退役軍人らの猛反対中止になっているピーター・カズニック歴史学教授は、トルーマン日本ソ連を介して和平仲介行っていることを意図的に無視したことを批判し前述原爆投下肯定論は「原爆神話」の影響指摘している。

※この「原爆切手」の解説は、「原爆切手発行問題」の解説の一部です。
「原爆切手」を含む「原爆切手発行問題」の記事については、「原爆切手発行問題」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「原爆切手」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「原爆切手」の関連用語

原爆切手のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



原爆切手のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの原爆切手 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの原爆切手発行問題 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS