原爆切手とは? わかりやすく解説

原爆切手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 21:16 UTC 版)

原爆切手(げんばくきって)とは、原子爆弾やそのキノコ雲などを図案とした切手である。これまでにいくつか発行されているが[1]、中でも日本では、アメリカ合衆国郵便公社1995年平成7年)に発行を予定し1994年(平成6年)末に日米間で政治問題化したものが知られている[2]


注釈

  1. ^ 厚生省は、被爆者の援護を所管していた。

出典

  1. ^ a b c d e f g 亀山久尚「気象の切手209 原爆きのこ雲の切手」『気象』第358号、財団法人日本気象協会、1987年2月15日、6頁。 
  2. ^ a b 内藤 2003, p. 6.
  3. ^ 内藤 2003, p. 272.
  4. ^ a b c d 押山 1966, p. 27.
  5. ^ 内藤 2003, p. 167.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 特集 世界の平和切手~ピカ研資料から 国境超え心つなぐ「外交官」”. 10代がつくる平和新聞 ひろしま国. 中國新聞社. 2022年1月15日閲覧。
  7. ^ 内藤 2010, p. 60.
  8. ^ a b c d e f g h 植村 1996, p. 203.
  9. ^ 内藤 2003, pp. 145–148.
  10. ^ 内藤 1996, pp. 188–189.
  11. ^ a b 植村 1996, p. 204.
  12. ^ a b 内藤 1996, p. 190.
  13. ^ 内藤 1996, p. 189.
  14. ^ 内藤 2003, pp. 145–146.
  15. ^ 内藤 2003, p. 146.
  16. ^ 内藤 1996, p. 191.
  17. ^ 内藤 2003, pp. 166–167.
  18. ^ 内藤 2003, p. 168.
  19. ^ a b c 内藤 2003, p. 169.
  20. ^ 内藤 1996, p. 195.
  21. ^ 内藤 1996, p. 198.
  22. ^ 内藤 2003, p. 174.
  23. ^ a b c 植村 1996, p. 205.



原爆切手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 18:37 UTC 版)

原爆切手発行問題」の記事における「原爆切手」の解説

1994年11月USPS翌年郵便切手発行計画デザインと共に発表したが、そのなかの「第二次大戦50周年」の記念切手10のうちの1枚に、原爆キノコ雲描かれ、その下に「原爆投下戦争終結早めた "Atomic bombs hasten the end of war, August 1945"」という文言入れられていたため、日本側から原爆使用正当化するものであり是認できるものではないとして反発起きた11月30日には日本側の複数新聞社批判的に報道したほか、12月2日には当時村山内閣外務大臣であった河野洋平が「被爆国であるわが国国民感情からいえば、決しいい感じ持たない」と不快感表明し首相村山富市同じよう感情示しアメリカ側対し外交ルート通じて事実上の「発行計画変更要請」を行った。 もっとも、第二次大戦50年記念切手真珠湾攻撃50周年1991年から毎年1回ずつ発行されており、最終的には原爆切手の発行予見きたはずであった。また日本政府側も外務省報道官アメリカ側の「原爆投下戦争終結早めた」との主張理解を示すなど完全に意思統一していなかったほか、ひたすら遺憾である”と繰り返し述べるだけで、不快感背景にあるアメリカ側歴史認識対す姿勢冷静に批判するまでには及ばなかった。当時広島市長であった平岡敬だけが「原爆使用正しかったとの認識につながる。核兵器使用理由問わず許されない」とストレートに批判した。 しかしアメリカでは原爆投下支持する考え根強く2005年TBSテレビ放送50周年 戦後60年特別企画ヒロシマ』で科学者ハロルド・アグニュー博士グレート・アーティスト搭乗し広島原爆唯一現存するキノコ雲映像撮影した)は広島訪問の際には2人被爆者からの謝罪要求拒否し、「(もし、申し訳ないと思うなら…)思わない」「恐ろしい兵器存在戦争抑止する」「真珠湾忘れるな」などと完全に正当化しており、ポール・ティベッツも死ぬまでに原爆投下肯定していた。2009年のキニピアック大学世論調査によると、アメリカ人60%が原爆投下支持している事が分かった1995年スミソニアン博物館企画した原爆投下エノラ・ゲイ広島長崎被爆資料並べて展示する原爆展は、退役軍人らの猛反対中止になっているピーター・カズニック歴史学教授は、トルーマン日本ソ連を介して和平仲介行っていることを意図的に無視したことを批判し前述原爆投下肯定論は「原爆神話」の影響指摘している。

※この「原爆切手」の解説は、「原爆切手発行問題」の解説の一部です。
「原爆切手」を含む「原爆切手発行問題」の記事については、「原爆切手発行問題」の概要を参照ください。

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