医学界の反応
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「センメルヴェイス・イグナーツ」の記事における「医学界の反応」の解説
大陸と比べ、イギリスではセンメルヴェイス説は比較的よく受け入れられた。といっても、イギリスの産科医たちは彼の理論を理解したわけではなく、単に彼ら自身の説を補強するものとしか見ていなかった。典型的なのが著名な産科医・ジャーナリストのウィリアム・タイラー・スミスで、彼は「解剖室から流れ出した瘴気が産褥熱を引き起こす」ことをセンメルヴェイスが「決定的に見抜いた」などと主張した。1848年のセンメルヴェイスの書簡に対するイギリスからの最初の反応は、ジェームズ・ヤング・シンプソンの辛辣な書簡であった。イギリスでは産褥熱を接触伝染性の病であると突き止めるところまで研究が進んでおり、シンプソンはウィーンのセンメルヴェイスがそうした研究を全く知らなかったのだと推測し、彼の先進性に気づけなかった。 1856年、センメルヴェイスの助手ヨーゼフ・フライシャーが、ロクスやペシュトでの塩素消毒法の成果をウィーンの週刊医学雑誌(Wiener Medizinische Wochenschrift)に投稿した。編集者は皮肉たっぷりに、今こそ塩素消毒理論に対する誤解が解かれるべきである、という書簡を載せた。2年後、ついにセンメルヴェイスは自分の手で『産褥熱の病原学』と題した研究書を出版した。さらに2年後には、『私とイギリスの医師たちとの間の産褥熱に関する見解の差異』と題した論文を出版した。そして1861年には、自身の研究の集大成となる『産褥熱の病理、概要と予防法』(Die Ätiologie, der Begriff und die Prophylaxis des Kindbettfiebers)を刊行した。この本の中で、センメルヴェイスは世間での自説の受容の遅さを嘆いている。「多くの講堂で、伝染性産褥熱に関する講義と私の理論をめぐる議論が鳴り響き続けている……刊行されている医学書の中で、私の説は無視されるか攻撃されるばかりだ。ヴュルツブルクの医学部など、私の説を拒絶する内容の1859年の先行論文を表彰までしている。」 カール・ブラウンは教科書の中で産褥熱の原因を30も挙げたが、その中で死体からの感染に触れているのは28個目のみであった。他には、妊娠そのものの問題や尿毒症、子宮拡大による他臓器への圧迫、感情的なトラウマ、食事、恐怖、空気感染などといった原因が挙げられていた。 こうしたセンメルヴェイスに対する反発にもかかわらず、ブラウンが第一医院の助手の地位にいた1849年4月から1853年夏までの間も、第一医院での死亡率はセンメルヴェイスの頃とあまり変わらない低い水準を保っていた。このことは、実はブラウンも熱心に塩素消毒法を実践していたことを示唆している。 ドイツの医師や自然科学者が集まった会議の場で、大部分の発表者はセンメルヴェイスの理論を否定した。反対者の中には、当時の病理学会最高の権威を誇るルドルフ・フィルヒョウもいた。このことはセンメルヴェイス説が認められなくなる重要な原因となった。ペシュト大学でのセンメルヴェイスの前任者エデ・フローリアーン・ビルイも、生涯にわたり産褥熱は患者の腸の不衛生の結果であると信じ続け、センメルヴェイス説を否定していた。プラハの産科医アウグスト・ブライスキは、センメルヴェイスの本を「世間知らず」とこき下ろし、「産科神学のクルアーン(コーラン)」などと呼んで皮肉った。彼はセンメルヴェイスが産褥熱と膿血症が同一のものであると証明していないと批判し、病理学の上ではセンメルヴェイスが主張する以外の要因も確実に含めて考慮されるべきだと主張した。コペンハーゲン産科医院長カール・エドヴァルド・マリウス・レヴィは、センメルヴェイス説で想定されている「死体粒子」なるものについての科学的な検証が留保されていることを指摘し、また標本数が話にならないほど少ないなどと酷評した。この点については、後にロベルト・コッホが、あらゆる病原は生きている人体の中でも生産されうるもので、化学的でも物理的でもなく、生物学的に確認できるものであることを示している。 もしセンメルヴェイスがより効果的に研究成果を発表し、敵対する主流派にうまく対処することができたならば、同様の抵抗があっても医学界により大きな影響を与えられたのではないか、とも指摘されている。
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医学界の反応
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2004年10月、日本癌治療学会、日本産科婦人科学会、日本泌尿器科学会の3団体が「癌患者さんの妊娠できる能力を残すために卵子凍結は施行されるべきである」と発表。 2013年11月15日、日本生殖医学会は神戸市で総会を開き、健康な未婚女性が将来の妊娠に備えて卵子を凍結保存しておくことを認めるガイドラインを正式決定した。卵子の凍結はがんの治療などで機能が失われるのを避けるために保存するのが本来の目的だが、指針ではこうした医学的理由のほか、成人女性が加齢などで妊娠が難しくなる可能性を懸念する場合の卵子凍結も、年齢など一定のルールを設けることで無秩序に広がるのを防ぐ目的で認めた。既婚、未婚を問わず、40歳以上での卵子の採取と、凍結卵子を使った45歳以上での妊娠を推奨しない 卵子の凍結保存と妊娠・出産の先送りを推奨するものではない 凍結した卵子は、本人が希望した場合や死亡した際には直ちに破棄し、妊娠可能年齢を過ぎた場合も通知した上で破棄できる などがガイドラインで上がっている。ただ、上述のガイドラインでも示している通り、社会的要因による卵子凍結は推奨されるものではなく、「リスクを最小にすることを考えるなら妊娠適齢期は20~34歳」であり、性教育については「こうした全ての正しい事実を教えることが必要」というものが医学的なスタンスである。 2015年2月8日、日本産科婦人科学会の倫理委員会は「健康な女性を対象とする卵子凍結保存は推奨しない」との見解を示している。 2016年2月2日、日本産科婦人科学会の苛原稔常務理事は、日本で初とみられる健康女性の凍結卵子を使用した出産事例に対し「凍結しても、本人の加齢による妊娠率の低下やリスクもある。医療機関としっかり話し合い、よく考えてほしい」とのコメントを出した。
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