産褥熱とは? わかりやすく解説

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さんじょく‐ねつ【産×褥熱】

読み方:さんじょくねつ

産褥期に起こる発熱性感染症分娩(ぶんべん)の際に生じた傷に細菌感染して起こる。


産褥

(産褥熱 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 15:39 UTC 版)

産褥(さんじょく、: puerperium)とは、日本語の直接の意味としては、出産のとき産婦の用いる寝床のことで、転じて出産およびその後の数週間のことを指す[1]妊娠および分娩によってもたらされた母体や生殖器の変化が、分娩の終了(医学的には分娩第3期、いわゆる後産期終了)から妊娠前の状態に戻るまでの期間のこと[2]を「産褥」「産褥期」と呼ぶ。

この時期の女性を褥婦(じょくふ)または産褥婦(さんじょくふ、: puerperant)という。期間は一般に6週間から8週間といわれているが、個人差や出産ごとでも異なることがある。この期間、妊娠時から急速に体内濃度が高くなっている体内ホルモンプロラクチン乳腺を刺激して乳腺葉を発達させ、オキシトシンは乳腺筋肉を刺激して乳汁を分泌させる。これらが闘争欲や遁走欲、恐怖心を減少させ、母性行動へ誘導する。

産褥期には体に以下のような諸症状が現れる。これらが生活に影響を与えるほど悪化し、または異常に進行して「病気」とされた場合を産褥病という。主には以下のものがあるが、発症の程度や期間にも個体差があり、無発症の場合もある。

  • 手足の浮腫 - 分娩直後。妊娠中は体内の血液量が通常の1.5倍ほどに増えているが、これが出産により一気に失われたために起きる体の一時的な反射反応。また授乳が始まっても水分バランスがくずれて発症することがある。
  • 乳汁の分泌開始 - 分娩からおよそ3日後から
  • 産褥熱 - 分娩後の10日以内の2日以上にわたる38度以上の高熱が続く発熱症状。感染症の一種。
  • 後陣痛
  • 産褥性心筋症 - 分娩後2〜20週の間にみられる鬱血性心筋症。原因は不明とされる。
  • 子宮口や腟腔の復古 - およそ4週間ほどかかるが、分娩のため妊娠前の状態には完全には戻らない[3]
  • 悪露の排出 - およそ4週間ほどかかる。下り物とは異なる。大きな傷が体内にあり出血や感染の危険がある時期である。
  • 子宮の急激な縮小(子宮復古) - およそ6週間ほどかかる。
  • 体重の減少
  • その他の身体の全般にわたる大きな変化

また、前出のようにホルモンの体内濃度が急激に変化するため心理的不安定を伴うとされる。主には以下のものがある。

これには、生活環境の変化や育児へのプレッシャー、育児環境への不安、育児疲れ、孤独感、焦燥感、自責感などからのストレスも複合要因としてあげられる。

この産褥期を経て母体は妊娠前の正常な体へ戻っていく。主に減少した体重からの回復期にあたるため、これを古来日本語で「産後の肥立ち」という。肥立ちが悪いとの表現は、なかなか回復できない、あるいは産褥症状が続いている女性を指したものである。

出典・脚注

  1. ^ 小学館・精選版日本国語大辞典「産褥」[1](コトバンク)
  2. ^ 世界大百科事典 第2版『産褥』
  3. ^ a b 日本大百科全書『産褥』

関連項目

外部リンク


産褥熱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:11 UTC 版)

ステファン・タルニエ」の記事における「産褥熱」の解説

19世紀大流行した産褥熱で1860年代にはパリ病院出産した女性12人に1人死亡していたのに対し、タルニエがいたパリ医大病院では178人に1人死亡抑えられていた。 タルニエは、1857年発表した論文1858年発表した著書の中で、産褥熱は敗血症を伴う伝染病であり、空気中、つまり肺を介して感染する考えていた。 この論文は、センメルヴェイス・イグナーツ1818 - 1865)の論文比較する偽物である。この論文当時のタルニエが認識してたかどうかは定かではない。センメルヴェイスは、汚れた手を介して直接接触することで伝染することを明らかにして「手洗い」という最初対策提案した医学世界では間違った考えから出発して良い結果得られることがある空気感染を防ぐために、タルニエは感染した母親健康な母親を別々の専門スタッフがいる隔離され病棟入れることを提案した。この対策1870年以降にしか適用されなかったが、無菌操作を行わなくても、出産する女性病院での死亡率が9%から2%減少したルイ・パスツール(1822 - 1895)の発見ジョゼフ・リスター(1827 - 1912)の無菌療法受けて、ポール・バール(1853 - 1945)やジャック・アメデ・ドレリス(1852 - 1938)などの弟子たち実践勧めた医学細菌学は、タルニエの指導の下、産科学講座教育一環として行われており、タルニエの講座には研究室設けられ、ドレリスは1881年から1883年まで初のプレパラート実験室技術者)として活躍した1880年には弟子のドレリスが、出産する女性外性器殺菌液に浸した布を使用する論文発表して死亡率2%から0.3%へとさらに低下した。タルニエはその後塩化水銀ヨウ化水銀などの水銀化合物膣内注射子宮注入行った1890年、彼は自分研究を『L'Antiseptie en Obstétrique』という堂々とした著作にまとめた。批判の声はますます高まり危険なものとなっていった。タルニエは「水銀は最も強力な抗菌剤だが、残念ながら毒性があるので、使用には細心の注意を払わなければならないと書いてついに断念した

※この「産褥熱」の解説は、「ステファン・タルニエ」の解説の一部です。
「産褥熱」を含む「ステファン・タルニエ」の記事については、「ステファン・タルニエ」の概要を参照ください。

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