産褥
産褥(さんじょく、英: puerperium)とは、日本語の直接の意味としては、出産のとき産婦の用いる寝床のことで、転じて出産およびその後の数週間のことを指す[1]。妊娠および分娩によってもたらされた母体や生殖器の変化が、分娩の終了(医学的には分娩第3期、いわゆる後産期終了)から妊娠前の状態に戻るまでの期間のこと[2]を「産褥」「産褥期」と呼ぶ。
この時期の女性を褥婦(じょくふ)または産褥婦(さんじょくふ、英: puerperant)という。期間は一般に6週間から8週間といわれているが、個人差や出産ごとでも異なることがある。この期間、妊娠時から急速に体内濃度が高くなっている体内ホルモンのプロラクチンが乳腺を刺激して乳腺葉を発達させ、オキシトシンは乳腺筋肉を刺激して乳汁を分泌させる。これらが闘争欲や遁走欲、恐怖心を減少させ、母性行動へ誘導する。
産褥期には体に以下のような諸症状が現れる。これらが生活に影響を与えるほど悪化し、または異常に進行して「病気」とされた場合を産褥病という。主には以下のものがあるが、発症の程度や期間にも個体差があり、無発症の場合もある。
- 手足の浮腫 - 分娩直後。妊娠中は体内の血液量が通常の1.5倍ほどに増えているが、これが出産により一気に失われたために起きる体の一時的な反射反応。また授乳が始まっても水分バランスがくずれて発症することがある。
- 乳汁の分泌開始 - 分娩からおよそ3日後から
- 産褥熱 - 分娩後の10日以内の2日以上にわたる38度以上の高熱が続く発熱症状。感染症の一種。
- 後陣痛
- 産褥性心筋症 - 分娩後2〜20週の間にみられる鬱血性心筋症。原因は不明とされる。
- 子宮口や腟腔の復古 - およそ4週間ほどかかるが、分娩のため妊娠前の状態には完全には戻らない[3]。
- 悪露の排出 - およそ4週間ほどかかる。下り物とは異なる。大きな傷が体内にあり出血や感染の危険がある時期である。
- 子宮の急激な縮小(子宮復古) - およそ6週間ほどかかる。
- 体重の減少
- その他の身体の全般にわたる大きな変化
また、前出のようにホルモンの体内濃度が急激に変化するため心理的不安定を伴うとされる。主には以下のものがある。
これには、生活環境の変化や育児へのプレッシャー、育児環境への不安、育児疲れ、孤独感、焦燥感、自責感などからのストレスも複合要因としてあげられる。
この産褥期を経て母体は妊娠前の正常な体へ戻っていく。主に減少した体重からの回復期にあたるため、これを古来日本語で「産後の肥立ち」という。肥立ちが悪いとの表現は、なかなか回復できない、あるいは産褥症状が続いている女性を指したものである。
出典・脚注
関連項目
外部リンク
産褥熱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:11 UTC 版)
「ステファン・タルニエ」の記事における「産褥熱」の解説
19世紀に大流行した産褥熱で1860年代にはパリの病院で出産した女性の12人に1人が死亡していたのに対し、タルニエがいたパリ医大病院では178人に1人の死亡に抑えられていた。 タルニエは、1857年に発表した論文と1858年に発表した著書の中で、産褥熱は敗血症を伴う伝染病であり、空気中、つまり肺を介して感染すると考えていた。 この論文は、センメルヴェイス・イグナーツ(1818 - 1865)の論文と比較すると偽物である。この論文を当時のタルニエが認識していたかどうかは定かではない。センメルヴェイスは、汚れた手を介して直接接触することで伝染することを明らかにして「手洗い」という最初の対策を提案した。 医学の世界では、間違った考えから出発して良い結果が得られることがある。空気感染を防ぐために、タルニエは感染した母親と健康な母親を別々の専門スタッフがいる隔離された病棟に入れることを提案した。この対策は1870年以降にしか適用されなかったが、無菌操作を行わなくても、出産する女性の病院での死亡率が9%から2%に減少した。 ルイ・パスツール(1822 - 1895)の発見やジョゼフ・リスター(1827 - 1912)の無菌療法を受けて、ポール・バール(1853 - 1945)やジャック・アメデ・ドレリス(1852 - 1938)などの弟子たちに実践を勧めた。医学細菌学は、タルニエの指導の下、産科学講座の教育の一環として行われており、タルニエの講座には研究室が設けられ、ドレリスは1881年から1883年まで初のプレパラート(実験室の技術者)として活躍した。 1880年には弟子のドレリスが、出産する女性の外性器に殺菌液に浸した布を使用する論文を発表して、死亡率は2%から0.3%へとさらに低下した。タルニエはその後塩化水銀、ヨウ化水銀などの水銀化合物の膣内注射や子宮内注入を行った。 1890年、彼は自分の研究を『L'Antiseptie en Obstétrique』という堂々とした著作にまとめた。批判の声はますます高まり、危険なものとなっていった。タルニエは「水銀は最も強力な抗菌剤だが、残念ながら毒性があるので、使用には細心の注意を払わなければならない」と書いてついに断念した。
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