化学兵器・生物兵器の使用計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 10:02 UTC 版)
「ダウンフォール作戦」の記事における「化学兵器・生物兵器の使用計画」の解説
第一次世界大戦で毒ガス戦を経験したアメリカ軍は戦後も化学兵器の研究と生産を継続していた。しかし、化学兵器に充てられた予算は少なく、1941年時点では500トンの備蓄しかなかったが、これは第一次世界大戦でアメリカ軍が1日に使用した量にも満たないものであった。太平洋戦争が開戦すると、化学兵器の予算は30倍に増やされ、エッジウッド陸軍兵器工廠を中心として大量の毒ガスが生産された。生産された毒ガスはアメリカ軍が第一次世界大戦で使用したマスタードガス・ホスゲンが中心となったが、それを充填する化学弾薬も驚異的な速度で生産されて、1945年までには550万発の毒ガス砲弾、100万発の毒ガス爆弾、10万以上の航空機による毒ガス散布タンクが生産されていた。また生物兵器の生産と研究も行われた。アメリカ軍がエッジウッド陸軍兵器工廠に生物兵器研究部隊「医療研究師団」を立ち上げたのは1941年8月であったが、これはドイツ軍と日本軍が生物兵器の研究を進めているという情報からその対抗策として設立されたものであった。生物兵器を製造するため、インディアナ州・テレホートにヴィゴ軍需工場が建設された。ヴィゴでは主に炭疽菌が製造されたが、月産100トンもの細菌が培養されて100万発の炭疽菌爆弾が生産される計画であった。 日本軍に対する化学兵器の使用が本格的に検討されるようになったのは、1943年11月のタラワの戦いでアメリカ軍海兵隊が多大な損害を被ってからであった。陸軍化学戦担当の責任者ウィリアム・ポーター少将は「毒ガスを適正に使用すれば、太平洋戦争を早期に終結させ、多くのアメリカ人の損失を防げるであろう」と積極的な化学兵器の使用を提案している。アメリカ陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルも「我々が即座に使え、アメリカ人の生命の損失が間違いなく低減され、物理的に戦争終結を早めるもので、我々がこれまで使用していない唯一の兵器は毒ガスである」とも述べていた。やがて、日本本土空襲が開始されると、アメリカ軍は、東京市に効果的に毒ガスを散布するための詳細な研究を行っており、散布する季節や気象条件を初めとして散布するガスの検討を行い、マスタードガス・ホスゲンなどが候補に挙がっていた。また、アメリカ軍は日本の農産物に対する有毒兵器の使用も計画していた。1942年にメリーランド州ベルツビル(英語版)にあるアメリカ合衆国農務省研究本部でアメリカ陸軍の要請により日本の特定の農産物を枯れ死にさせる生物兵器となる細菌の研究が開始された。しかし、日本の主要な農産物である米やサツマイモなどは細菌に対して極めて抵抗力が強いことが判明したので、細菌ではなく化学物質の散布を行うこととなり、実際に日本の耕作地帯にB-29で原油と廃油を散布したが効果はなかった。さらに検討が進められて、2,4-ジクロロフェノキシ酢酸を農作物の灌漑用水に散布する計画も進められた。 それでも、日中戦争で生物化学兵器を使用した日本軍がアメリカ軍相手には生物化学兵器を使用しなかったので、アメリカ軍も使用することはなかった。フランクリン・ルーズベルト大統領に強い影響力を有したウィリアム・リーヒ合衆国陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長 (Chief of Staff to the Commander in Chief, U.S. Army and Navy, the President of the United States) が「化学兵器や生物兵器の使用はキリスト教の倫理にも、一般に認められている戦争のあらゆる法律に背いていることになり、また我々が使用すれば敵も使用する」と主張しており、ルーズベルトも「日本軍がこの種の非人道的な戦争(中国軍に化学兵器を使用したこと)を続けるなら、アメリカ軍は毒ガスで報復するだろう」と警告するなど、アメリカ軍の使用方針はあくまでも日本軍が使用した場合の報復的なものに限っていたが、硫黄島の戦いや沖縄戦でアメリカ軍が甚大な損害を被ると、きたるダウンフォール作戦に向けてアメリカ軍の損害を減らすためとして、積極的な生物化学兵器の使用の主張が強まった。沖縄戦でアメリカ陸軍第10軍を指揮したジョセフ・スティルウェル中将も、「毒ガスの使用が考慮に入れられるべきです。攻撃を軍事目標に限定すれば、民間人への使用という不名誉は回避できます」と主張していた。アメリカ統合参謀本部が、生物化学兵器の使用を世論に認めさせるため、マスコミと協力して世論づくりをしていたことを記録した極秘資料が情報公開により明らかになっている。当局の世論工作もあって、シカゴ・トリビューンは「彼ら(日本軍)をガスで片付けろ」という社説を紙上に掲載したが、「毒ガスを非人道的とする非難は誤りでもあるし、的外れでもある」「ガスの使用は数多くのアメリカ国民の命を救うと同時に、日本人の命もある程度は救う可能性がある」などと、アメリカ国民に生物化学兵器使用の罪悪感を軽減させるような主張をしていた。 アメリカ軍はオリンピック作戦準備として、オーストラリアとハワイに生物化学兵器を貯蔵する大きな倉庫を大量に建設し、太平洋上の島々にも小規模な貯蔵施設が設置した。やがてルソン島と沖縄を攻略したアメリカ軍は、生物化学兵器7,500トンをルソン島に、16,000トンを沖縄に貯蔵する計画を立てた。そしてオリンピック作戦が開始されると、8,500トンの生物化学兵器を積載した輸送艦をマニラ湾に待機させて、いつでも前線に送り込めるようにする予定であった。
※この「化学兵器・生物兵器の使用計画」の解説は、「ダウンフォール作戦」の解説の一部です。
「化学兵器・生物兵器の使用計画」を含む「ダウンフォール作戦」の記事については、「ダウンフォール作戦」の概要を参照ください。
- 化学兵器・生物兵器の使用計画のページへのリンク