化学兵器の使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 10:17 UTC 版)
日本軍は宜昌の防衛戦における絶望的な状況の中で、最後の手段として化学兵器(毒ガス)による攻撃を実行した。10月7日から11日にかけ、山砲兵第19連隊(第1大隊。東山寺の側防山砲など)が中心となって「あか弾(嘔吐性ガス)」1,500発、「きい弾(糜爛性ガス)」1,000発を発射した。その結果、「敵の攻撃企図を挫折」させ「瓦斯の効果は□(極)めて大なりしものの如し」と分析している。 10月27日、重慶政府は宜昌戦で日本軍により毒ガスが使用されたことを発表し、中国兵らはくしゃみ・鼻血・皮膚の変色・激痛を伴う水疱などの症状をあらわし、約1,350名が被毒、うち750名が死亡したとされた(翌年欧米各国へ送った文章では被毒者1600名、うち死亡者600名としている)。また戦闘時、第6戦区軍の第2軍司令部に同行取材していたアメリカ人ジャーナリスト・ジャック・ベルデン(en:Jack Belden)の報告を得たことや、戦闘後アメリカ軍の化学将校が行った調査などから、アメリカ・イギリス両国は日本軍が毒ガス(特に糜爛性ガス)を使用したことを確信するに至った(報告の中では毒ガス弾は砲撃だけでなく航空機からも投下されたとしている)。この戦いが行われたのは太平洋戦争開戦2ヶ月前の日米交渉が難航していた時期ということもあり、11月27日にアメリカ陸軍長官ヘンリー・スティムソンがフランクリン・ルーズベルト大統領に対してフィリピンへの毒ガス配備を進言するなど、アメリカの対日毒ガス戦準備のきっかけとなった。
※この「化学兵器の使用」の解説は、「第一次長沙作戦」の解説の一部です。
「化学兵器の使用」を含む「第一次長沙作戦」の記事については、「第一次長沙作戦」の概要を参照ください。
化学兵器の使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 16:14 UTC 版)
詳細は「ハラブジャ事件」を参照 イランが支援するクルド人ゲリラのペシュメルガは、イラン・イラク戦争末期にハラブジャを占領した。1988年3月16日午前11時、2日間の砲撃戦の後、イラク軍戦闘機がハラブジャに毒ガスを散布した。少なくとも5000人が虐殺され、7000人以上が負傷や後遺症に苦しんだ。犠牲者の殆どはクルド人市民だった。神経ガスのタブンやサリン、VXガス、マスタードガスが使用されたと考えられている。CIAの元上級分析官のStephen C. Pelletiereによると、イラク政府はこの中でマスタードガスのみ保有していた。2019年の研究によると、30年以上経っても生存者が生物学的、心理的、社会的な問題に苦しんでいる。終戦前にイラク軍はハラブジャを完全に破壊した。
※この「化学兵器の使用」の解説は、「ハラブジャ」の解説の一部です。
「化学兵器の使用」を含む「ハラブジャ」の記事については、「ハラブジャ」の概要を参照ください。
- 化学兵器の使用のページへのリンク