イラク軍による化学兵器攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/22 12:58 UTC 版)
「第6次ヴァル・ファジュル作戦」の記事における「イラク軍による化学兵器攻撃」の解説
アメリカは1983年10月頃からイラクによる化学兵器の使用を疑っていたが、実際に確認が取れたのは1984年2月22日以降であった。イラク軍はマジヌーン島攻防戦において、イラン軍の人海戦術に苦慮しており、遂にマスタードガス及びタブンを使用、砲弾や輸送機及びヘリコプターから化学剤入りドラム缶を計48回に渡って投下、イラン軍に戦死40人、負傷者2,660人を出させた。これらの被害者の内28名が西欧と日本の医療機関に搬送され、その症状からマスタードガスによるものと判明した。 イラクは、1960年代にソ連供与兵器を導入し化学戦能力の向上を開始、1970年代にはイギリス・イタリアから大量の化学剤を購入し、製造プラントをサマーワ郊外65kmの砂漠の真ん中にマスタードガス製造工場を建設していた。他に、バグダード西100kmに位置するラマディにも殺虫剤工場と称して、神経剤工場を建設した。 イランは、この事実に対し非難したがイラクはこれを謀略として反論した。しかし、イラク軍高官(ヒシャーム・ファクリー第4軍団司令官)は国土防衛の為にはあらゆる手段を行使すると、状況次第では化学兵器の使用をするかもしれないことを匂わせる発言をした。
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