イラク軍の反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 19:07 UTC 版)
しかし、ソ連式縦深防御陣地を構築していたイラク軍は体勢を建て直し巧みな後退戦を実施、さらに撤退するかのように偽欺し機動防御のために投入された1個機甲師団(3個機甲連隊編制、戦車325輌保有、当時最新鋭であったT-72をはじめて装備した優良師団)をもってキルゾーンに誘引、イラン軍先鋒を撃滅破砕した。1月7日ごろからはイランの戦果発表のトーンが低下し始めていた。1月10日にはスーサンゲルド南方の湿地帯にて衝突、両軍合わせて約400輌の戦車が参加、第四次中東戦争以来の大規模な戦車戦が生起したが、ソ連式の近接航空支援と濃密な火網の支援を受けたイラク軍機甲部隊が勝利した。その後、本格的な降雨が始まり自然と戦闘は膠着状態になった。1月12日にはイラクは勝利宣言をした。 2月6日、バニーサドルは英タイムズ紙のインタビューで総反撃は失敗したことを認めた。1980年末47,000人を動員して国軍の再建に当たった努力は水泡に帰した。
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