化学事業直営化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)
1937年に日中戦争が勃発すると、食糧増産の国策から次第に肥料に対する国家統制が強化されていった。矢作工業の主製品である硫安についても1938年7月公布の「硫酸アンモニア増産及配給統制法」で価格や販売方法についての統制が始まる。さらに原材料費で最大の比重を占める電力についても、下記#電力国家管理と解散にある通り電力国家管理政策が始まって統制が強化された。こうして原料・製品両面での規制が強まり事業の円滑な推進が難しくなったとして、矢作工業は親会社矢作水力との合併を選択した。 矢作水力と矢作工業は1939年(昭和14年)9月21日に合併契約を締結。翌1940年(昭和15年)3月1日付で合併が成立し、矢作工業は解散した。合併比率は1対1で、矢作水力は合併に伴い1650万円を増資し資本金を1億85万円としている。合併により矢作工業の工場は矢作水力の「工業部」に衣替えした。工業部の収入は多額であり、合併後の1940年上期決算では供給事業収入624万9千円に迫る522万3千円(総収入の43パーセントに相当)の工業部収益を計上している。 引き続き矢作水力工業部では化学事業を展開したが、太平洋戦争勃発後は肥料産業が軍需に直結しないとして電力供給量が細り、原料コーライトも不足したため次第に操業自体が困難になっていった。
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