劇研究会と放蕩生活とは? わかりやすく解説

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劇研究会と放蕩生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「劇研究会と放蕩生活」の解説

1922年大正11年5月中谷孝雄夜な夜な街を歩き質屋で金を作って祇園乙部祇園東)の遊廓行ったりする日々の中、高浜虚子の『風流懺法』を好み中谷から借りた佐藤春夫の『殉情詩集』、島崎藤村の『新生』を感心して読んだ。基次郎は酒びたりや享楽の生活を後悔し、〈自我統一する事〉〈善の基準定めよ〉〈目覚めよ、我魂!〉と自戒した。三高劇研究会へ入った次郎は、ビラ配りなどに勤しみ、外村茂北神正も入部してきた。 劇研究会では、フランス帰り折竹錫教授講師ジャック・コポーの話をし、会員らは日本戯曲西欧近代劇台本読みをし、基次郎女役引受けることが多かった『サロメ』や『鉄道マリンカ』で女声しぼり出すため口つぼめる次郎の姿はとてもユーモラスだったという。 津守萬夫が会から遠のくと、基次郎中谷孝雄中心となり活動していった。6月初旬戯曲創作真似ごとをした基次郎は、京都南座公演中澤田正二郎楽屋外村茂訪問して講演依頼し心身調子すぐれないながらも三島章道講演聴いたりした。 7月学期末試験済んで琵琶湖周航小旅行をした後、柳宗悦講演聴き大阪実家での静養中は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』志賀直哉の『暗夜行路』などを読んだこの頃戯曲草稿河岸」に取り組んだ推定されている。8月には、和歌山近藤直人の家に遊び行き近藤妹婿子供らと新和歌浦海水浴をした。基次郎は7メートルほどの高い崖から板を使って飛び込み海中の岩で鼻を怪我。その傷跡一生残ることになった9月授業をさぼって、文丙2年浅見篤浅見淵の弟)と新京極カフェー飲み歩き遊廓にも行ったこの頃、文丙2年小林馨劇研究会に入部した。基次郎6月から9月にかけ、いくつかの草稿日記綴った一個レモン慰められる心を歌った詩草稿「秘やかな楽しみ」(檸檬の歌)、「百合の歌」、戯曲草稿攀じ登る男」、小説草稿小さき良心」、断片喧嘩」「鼠」、またニーチェの影響で、断片永劫回帰」などをこの時期書いた10月三高文芸部主催有島武郎秋田雨雀講演会聴いた信州平林英子宮崎県日向の「新しき村」に入るために京都立ち寄るが、中谷孝雄とよりが戻り、基次郎と3人で嵐山行って保津川ボート上で上田敏の『牧羊神』の「ちゃるめら」を朗読した。基次郎微熱があるのに冷たい川で泳いだこの頃、基次郎中谷孝雄への絵はがき自殺ほのめかす言葉書いた。基次郎中谷は、「新しき村京都支部会員の外山夫に依頼され演劇公演会の宣伝手伝い京都に来た武者小路実篤会い行った11月1日上京区岡崎(現・左京区)の公会堂で「新しき村」の公演会が上演され、この時に次郎北野中時代同級生永見七郎再会した。永見は『白樺関連雑誌『星の群』に詩などを書いていた。同日三高の寮で臥せっていた友人青木律が腸チフス死亡。基次郎親友がいないと言っていた青木親身に見舞っていた。同月上旬来日したピアニスト・ゴドフスキーの演奏会中谷孝雄聴き行った。 この秋、基次郎は酒に酔って乱行度を越えることもしばしばとなり、焼き芋甘栗屋の釜に牛肉投げ込み親爺追い駆けられたり、中華そば屋屋台ひっくり返したり乱暴狼藉起した。放蕩借金下宿代滞り夕飯出されなくなった取り立て追われ友人下宿転々とした。清滝の「屋」で泉水碁盤放り投げ自分飛び込んで追っかけ、基次郎だけ店から出入り禁止となった金魚抱いて寝ていたこともあったという。 基次郎荒れ方は劇研究会の仲間も引くほどで、中谷この頃の基次郎を、「いささか狂気じみて来た」と回想している。そんな基次郎が心を慰められていた檸檬は、寺町二条角の「八百卯」で買っていたものであった草稿裸像を盗む男」や「不幸(草稿1)」など書かれたのもこの時期推定されている。「裸像を盗む男」は、他人から見た自分と自分の見る自分と分裂主題となっている。 私は街に出て、とある果物屋へ入つた。そして何も買はずに唯一顆の檸檬を買つた。そしてそれがその日の私の心を慰める悲しい玩具になつたのだつた。……その冷たさを頬におし当て、また爪の痕を入れてしみじみその香を嗅いだりした。……たゞその一顆レモン五官反響する単純な感覚のみが紊れからまつた心の焦燥からの唯一の鎮静剤になつたのだつた。私は傲り驕ぶつて来るのさへ感じた。そしてその末丸善へ入つた。 — 梶井基次郎日記 草稿――第三大正12年秋」 12月2度目落第が確実となり、大阪帰った次郎は、退廃的生活を両親告白して実家謹慎生活を送ることにし、トルストイ読み耽った北白川下宿代は兄が支払い行ったこの頃草稿帰宅前後」「洗吉」「不幸(草稿2)」が書かれたと推定されている。同月に兄が結婚し大阪市西区西島北港住宅(のち此花区西島町北港住宅163番地の1)に所帯を持った。基次郎年末和歌山近藤直人訪ね自画像デッサン持参して見せた

※この「劇研究会と放蕩生活」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「劇研究会と放蕩生活」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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